ねこまにあの素

ねこまにあのもと

to the beat,not to the beat

今思うと、あれは一目惚れだったのだろう。

 

彼と最初に会ったのは、

会社の研修だった。

当時地方銀行の支店で投資商品を販売する仕事をしていた私は、

3ヶ月に一度は何らかの研修を受けることになっていた。

 

そのどれもが特段おもしろくもない、

ただ時計の針がはやく進むように祈るしかないような研修。

 

その日も同じだと思っていたが、

いつもと違う研修担当が来るという。

ふだん講師を務める本部の人間ではなく、

優秀な成績をキープしている現場の人だそうだ。

 

「今日来る人はイケメンだけどね、

エリートすぎてなんとなく私たちを下に見てるような感じがして嫌なのよね」

絵に描いたようなお局様ポジションのスタッフが言う。

 

ふうん。

興味のないフリをしながらも、

どこか浮足立つのを隠せずにいた。

 

業務は滞りなく終わり、

研修の時間が来た。

 

彼が会場に入ってくる。

会場と言っても、20人も入ればいっぱいになるような支店二階の小さな会議室だ。

 

入ってきた瞬間、

息が止まるかと思った。

正直に言おう、

顔がものすごく好みだった。

 

きちんと整えられた髪。

涼しげな目。

はにかむような口元。

 

センスのいいネクタイなのに

少しシワのついたシャツが

ほどよくバランスを崩し、なんとも不思議な魅力を纏っていた。

 

気持ちを切り替え、研修に集中しようと努力したが

それは徒労に終わった。

一切内容を覚えていない。

ただ一瞬目が合ったその瞬間だけは

鮮明に覚えている。

 

たしかに胸の高鳴りを感じたはずだった。

しかしその後彼とは会う機会もなく、

自然と私の心は日常を取り戻していった。

 

1年ほどたったころだろうか。

私に異動の辞令が出た。

銀行員にとってはなんの珍しさもない。

自分がいつ該当する時期になるかだけだ。

問題は行き先。

上司に告げられたのは、

なんと彼のいる支店だった。

 

あれからもう1年も経っている。

もう彼のことは忘れたはずだ。

というか始まってすらいない。

そう自分に言い聞かせながらも

いつもとは違うリズムの鼓動をかすかに感じていた。

 

異動は2週間後―

引き継ぎに忙殺されているうちにその日はやってきた。

 

配属初日。

無事に一日目を終えてほっとしていると、

年の近い女性行員に話しかけられた。

 

「ねえ、今日時間ある?急だけど行ける人だけで歓迎会開きたいなと思ってて」

もちろん快諾した。

 

彼も来るのだろうか。

淡い期待が一瞬頭をよぎった。

 

夜。

十数人いる支店メンバーの中から、

若い人を中心に数人が集まってくれた。

その中に、彼もいた。

 

お酒の付き合いは良くない方だと伝え聞いていたので

正直意外だった。

うれしさを感じずにいられない自分がいた。

 

飲み会は楽しかった。

テーブルが分かれてしまい、

彼とは挨拶程度しかできなかったが、

別に構わなかった。

支店の人たちはみんな良くしてくれたし、優しい人たちだった。

 

店を後にし、

皆それぞれの方角へ帰っていく。

挨拶とお礼をしつつお見送りをし、

私も帰路に就こうとしたとき、驚いた。

私の帰り道は彼と同じ方角だ。

しかも、二人きり。

自然と肩を並べて歩く格好になった。

 

「前に、勉強会で会ったよね?」

突然彼が言う。

「覚えてたんですか?」

驚いて彼を見る。

目が合った。

そう、この目だ。

軽いめまい。

ふらつきそうになるのを何とかこらえる。

それでも目が離せない。

一瞬のはずだが、とてつもなく長く感じた。

 

「もう一軒行こうよ」

微笑みながら彼が言う。

抗えない、と思った。

ゆっくりと何かに落ちていくのを感じた。

落胆に似た、かすかな快感だった。

 

その日から、

彼はよく飲みに誘ってくれるようになった。

彼はとても仕事ができる人で、頭もいい。

みんなに頼りにされていて、「先生」と呼ばれていた。

私も皆にならって先生と呼ぶ。

 

支店のすみっこで、

人目を盗みながら

今日は行ける?とコソコソ約束を取り付けるのが

たまらなくスリルで

たまらない優越感だった。

別に何かあったわけではないのだから

誰に見られてもいいのだけど。

 

もしかしたら本当に「何か」があるかもしれない。

そう思って誰にも話さずにいた。

 

そうしているうちに二人で毎日のように飲み歩くようになって

2週間ほど過ぎたころ。

アクシデントが起きた。

 

二人で飲んでいた店で、支店長と鉢合わせたのだ。

しかも他の行員も一緒だ。

 

何にもやましいことはないはずなのに、

なぜか二人してうろたえてしまった。

支店長は一瞬曇った顔をしたけれど

瞬時に計算して自分に無害であると答えを出したらしい。

冗談めいた口調で「セクハラに気をつけろよ!」と豪快に笑って席に戻っていった。

 

その後だ。

先生は突然饒舌になり、

普段言わないようなことを言ってきた。

「いつも思ってたけど、私服、かわいいね。センスがあるよ。」

洋服とはいえかわいいと言われたことに驚き、

そして鼓動が早くなった。

「ありがとうございます。うれしいなー。」

「うん、本当に、かわいい。」

目を細めて私を見る。

見ているのは洋服?それとも…私?

まさかね。

照れ隠しにあははと笑うと、

先生は「よし!あっちに合流しよう!」と支店長たちの席に向かい始めた。

突然二人の時間を奪われた私はがっかりしながらも先生に従った。

 

その夜は、1時間ほど飲んで、解散。

やけにあっさりしたお別れだった。

支店長には会うし、かわいいと言われるし、気持ちを整理する間もなく突然お別れだし。

自分の感情の浮き沈みについてゆけず、先生の意図もわからず、

悶々としながら夜が明けた。

 

その夜から、先生の態度が明らかに変わった。

相変わらず二人で飲みに行っていたが

今までしていたような他愛無い会話じゃない内容が増えたのだ。

「本当に、楽しいよ、この時間が。ずっと続けばいいのにと思ってる。」

「声、かわいいよね。職場で聞いてて、ドキドキすることがあるよ。」

「なんか口説いてるみたいだね?俺。」

言われる度に心臓を撃ち抜かれたかと思うくらいの鼓動を感じたが、

本気にしてはいけないと思っていた。

冗談だと受け流し、あははと笑うことしかできなかったが

ある時ついに言われた。

 

「好きかもしれない」

かも?かもってなに?

「あははーまたそれー」

いつものように冗談めかして受け流す。

 

突然手を取られた。

「かも、じゃないね。好きだ。」

お酒が入って熱くなった彼の手の感触が

一瞬にして私の心臓を突き刺す。

「もーやめてくださいよーまた酔って口説いてるんでしょー?」

茶化すように手を離そうとする私。

それを制するように、先生は一層強く握ってくる。

視線が絡みついた。

「酔ってるけど、自分が何を言ってるかわからないほど酔ってはいないよ」

一呼吸おいて更に攻めてくる。

「好きだ」

 

全身の力が抜けるのを感じた。

抗えない。

この人には抵抗できない。

そのまま身を委ねるしかなかった。

先生が私の顎をくいっと持ち上げる。

本当にこんなことする人がいるんだ…

どこか冷静になりながら

私は目を閉じ、先生を受け入れた。

 

遠くで店員さんを呼ぶベルの音が聞こえる。

安くて無駄にきれいな全国チェーン居酒屋の一室。

 

ビール味なんてはじめてだな…

そんなことを思いながら先生の感触を確かめていると

ゆっくり顔が離れた。

 

「うちにおいで」

この提案はさすがに迷った。

ここでノコノコ付いて行ったら

軽い女に思われないだろうか。

「今日はやめておく」

逡巡ののち、かろうじてつぶやいた。

「かわいいな。」

なぜか私の顔を見て少しふっと吹き出したように笑いながら

頭をくしゃくしゃっとなでてきた。

頭を撫でられるのは弱い。

思わず下を向き、息をふーっと吐きながら気持ちを落ち着かせる。

こんな展開を望んでいたのに、

いざこうなるとどうしたらよいのかわからない。

「ねこみたいだ」

私の反応をからかうように頭を撫で続けて言う。

「やっぱりだめだ」

先生がふぅっと息を吐く。

「帰したくない」

やっぱり

この人には抗えない。

 

先生のアパートは、とても綺麗にしてあった。

家具は最低限でシンプルなもの。

統一感があり、センスを感じさせる。

「座ってて」

そう言われても、なかなか落ち着かない。

本棚には金融関係の本がずらり。

先生はCFPという、FP最難関の資格を持っている。

「見ていいですか?」と断り、

そのうちの一つをパラパラめくる。

小難しい文章が並ぶ中に、先生の綺麗に整った字でメモがしてある。

こんなすごい人がどうして私と?

容姿端麗で仕事も優秀、頭もいい。

女性に困ることはないはずだ。

遊びなのかな…やっぱり引き返すべき?

そんなことが頭をよぎり始めた瞬間、

気づいたら先生がすぐそばに立っていた。

ゆっくりと私の手から本を取り、机に置く。

さっきまで本を握っていた私の手を先生がぐいっと引っ張り抱き寄せる。

「何も考えないで」

私の考えを見透かしたように先生が言う。

いつも通り少しシワが残るワイシャツ越しに、先生の鼓動を感じる。

ー戻るなら今だー

どこかから声が聞こえた気がした。

先生はゆっくり胸を離す。

考える間も無く、唇に先生の感触が訪れる。

ビールの味…

ブラウスのボタンがはずされてゆくのを感じながら

もう戻れない、と心の中で聞こえてきた声に応えた。

 

ピーッという音とともに電気が消える。

先生がリモコンを操作したらしい。

 

「せんせ…」

かろうじて絞り出した言葉はこれが最後で

あとは吐息に変わる。

自分のものとは思えない、聞いたことのない声が聞こえた。

 

朝。

いつもより早く目が覚めた。

スマホを手探りで探して時間を確認する。午前5時。

隣には先生が寝ている。

ずっと寝顔を見ていたい衝動にかられたが、今日も仕事だ。

帰ってシャワーを浴びないと。

ここから私のアパートまでは歩いて10分もかからない。

今帰れば余裕で支度できる。

職場で先生に会う前に、気持ちを整理する時間も欲しい。

 

先生を起こさないようにベッドを抜け出そうとしたその時、

肩をぐっと抱き寄せられた。

「おはよう」

昨夜我を忘れて先生に没頭したことがちらつき、

イメージを必死で振り払いながら、おはよう、と努めて冷静に返す。

「帰るの?」

気だるそうに先生が言う。

「うん。シャワーも浴びたいし」

 

「まだ時間余裕でしょ?」

そう言うと先生は私を自分の腕の中にぎゅっと抱き寄せる。 

「朝の方が燃える」

反論の余地はないとばかりに唇を奪われた。

 

カーテンが閉まっているとはいえ夜とは全く違う光の中で

思わず体がこわばってしまう。

先生はそれを察するように私の手をぎゅっと握り

「きれいだよ」

とささやく。

この人は私が思っていることがわかるのだろうか?

そんなくだらないことを考えながら

体が溶けてゆくような快楽に身を投じた。

 

その日から私たちは特別な関係になった。

同じ支店内での恋愛はご法度だ。

絶対にばれないように、会う場所も気を付ける。

 

外で会うときは個室のお店。

主に会うのは一人暮らしのお互いの家だった。

人目を避けて会うのはまるでいけない恋愛をしているかのようで

少し罪悪感を誘った。

物足りなさもあったけれど、その分先生は積極的に遠出に連れて行ってくれた。

運転が好きだという先生は、

休みが合えば必ずと言っていいほど県外にドライブに行こうと誘った。

県外なら見られる心配はほとんどない。

手をつないで堂々と歩けるのがうれしかった。

 

職場が一緒だと、仕事も楽しい。

一度だけ、隣の窓口に座ったことがあった。

ふだん先生は窓口にいるような役職ではないけれど、

スタッフの昼休みなどで手薄な時には稀にそういうことがある。

仕事モードの中で隣になるのはなんともいえない照れくささを覚えた。

お客様が預け入れにくると、

紙幣を数える姿がなんだかおかしい。

 

器用にお札を数える、素早く動く指を見ていると

その指は私の体が知っている指だ…と昨夜のことを思い出し、

思わず体が熱くなってくる。

仕事中だ、だめだめ。

頭をふってイメージを消し、もう一度スイッチを入れなおす、なんていうこともあった。

 

毎日が楽しかった。

しかし半年ほど過ぎたある日、

終わりは突然やってきた。

 

先生の転勤。

東京の支店だった。

栄転だ。

 

いつかこんな日が来るのはわかっていた。

銀行員に異動はつきものだ。

だから二人とも日が過ぎるのを惜しむように

毎日できるだけ一緒に時を過ごし、

貪るようにお互いを欲した。

 

それにしてもまさか東京とは思っていなかった。

面食らい、泣きじゃくる私に先生はこう言った。

「東京なんて新幹線で1時間半だよ。すぐそこだ。」

だけどこの言葉を聞いた時、

もう会うことはないだろうと第六感が告げた。

先生と私の関係はどこか刹那的で、

ずっと続くものではないような気がしていた。

線香花火のように、いつか消えるものだからこそ

今火花を散らして咲いているのだと。

 

結局、

東京に行った先生とは、その後会うことはなかった。

何度もLINEをしたり、時には電話もしたりしたが、

いつ会おう、という話は互いに持ち出さなかったからだ。

そのうち連絡の頻度が下がり、いつの間にかそのままになってしまった。

今先生がどこにいて何をしているのかも知らない。

 

私とのことは本気だったのか、

それすらも今はもうわからない。

いつかこの記憶が本当の意味で思い出になった時、

先生に会って聞いてみたいと思っている。

またどこかの安い全国チェーンの居酒屋で…

 

 

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最後までお読みいただきありがとうございます。

 

これは実話と妄想を独自のブレンドで配合したフィクションです。

題と同じタイトルの曲から発想を得ています。

 

Twitterで仲良くさせてもらっているこずえさんという方のブログを読み、

私も妄想の中で男性に弄ばれたい衝動に駆られまして、

その勢いのまま書き上げたものです。

なにぶん自己満足要素が強い作品のため、

拙いところが多々あるかと存じますが

大目に見ていただければ幸いです。

 

 

こずえさんの記事はこちら。

この作品とまったくテイストが異なり、

甘いソーダにライムをしぼったようなさわやかな大人の作品となっております。

 

kozuechan.hatenadiary.jp

 

アンサーソングやーさんの作品もあります。

二つ合わせてお読みいただくと大変な胸キュンとなること必至です。

 

ya-san.org