ねこまにあの素

ねこまにあのもと

いつも空席を探している

新月は昨日だった。

 

約1ヶ月のサイクルの中で、

「自分を出すこと」を意識して、できたことはあると思う。

意外と受け入れてくれる人が多くて、

ほっとしている、というのが本音。

 

やっぱり、人をまったく気にしない、というのは無理よ。

人に言葉を届けようとしてるんだから。

 

 

 

コミニュティの中で、

言葉を使って生きる。

 

たくさんの言葉を目にして、

それに反応して、

自分も意見を持つ。

 

その時に、私は天邪鬼になる。

 

 

周りに同調するのが単に好きじゃないのか、

自分は違う意見を持つことができると

多角的に見ることができると

アピールしたいのか。

 

それともただ反発することに

快感を覚えるのかもしれない。

 

理由はわからない。

だけど、

「本当にそうだろうか」とか

「こういう見方もあるんじゃないか」とか

そんな視点で考える癖があることを

自覚している。

 

私はずば抜けて何かがうまいわけではない。

文章は自己満足の域を出ないし、

知識もないし、

とりたてて特徴的なこともない。

 

だからこそ、

「自分オリジナル」が欲しいのかもしれない。

 

それは人に同調することでは

得られないと思っているのかも。

 

特技が何もないからこそ、

いつも唯一無二であることを模索していて、

人の気を引きたいと思っていて、

今時点でそこに近づける手段だと思っていることが

「他と違うことをする」と思ってるんだったりして。

 

なんだ、

こう文章にすると

なんて卑しいんだと思うね。。

 

でも自分で書いていながら

「痛いところをつくなあ」と

今書いたものを読み返しながら、思ってしまっている。

 

なんというか、周りを観察して、

あまり転がってない意見を無意識に探して、

自分の席だ、と思って座っているのかもしれない。

だったらそれは本当に自分の意見と言えるのか。

 

うーん、正直言ってわからないなぁ。

 

だけど自分では嘘を言ったり打算で動いてるつもりはなくて、

ただ人の意見に違和感を覚えてしまいがちだということは

たしかなこと。

 

その違和感を認識することも、

反論を反射的に考えてしまうことも、

わりとパワーをつかうことだから

なるべく「人の意見」に触れないようにしてはいるのだけど。

ぜんぶ避けて生きていく、というのは無理な話よね。

 

 

自分は何かで勝負できる武器を持っていないから

同じ土俵にあがらないように、というのも、

常に意識していること。

 

 

自分の評価は自分で下せばいいものを、

どうしても相対評価で見てしまうから。

 

相対評価は苦しい。

嫉妬やひがみも生む。

 

そうだ、最近読んだ本の中にも

同じようなことが書いてあった。

 

どれだけ高収入になっても、

どんなにいい暮らしをしても、

同じ層の人と永遠に比べ続けていってしまうのだそうだ。

 

それが人間だと。

 

それを避ける唯一の術が、

同じ土俵に上らないこと。

 

相対評価をしない、というのは

とても難しいから、

比べる環境にしない、というのが

現実的な目標になり得るのかもしれない。

 

人と比べそうになったら

その人と交わらない円の中で

楽しんでみる。

 

うん、それを今周期の目標にしてみよう。

次の満月まで。