ねこまにあの素

ねこまにあのもと

自責と他責

自分だけが悪いってことは、
そうそうあるもんじゃない。
だから何か起きた時は
自責と他責、両方で考える必要があるよ。

 

これは今でも尊敬している元上司の言葉。

とてもよく覚えてるけれど、
実践はとても難しい。


私は全部自分が悪いと思ってしまうから。

責められれば反射的に反論はしたくなるけれど
言葉ひとつひとつ、すべて真正面から受け止めてしまう。
悪意のある言葉でも、
そういう風に見えているなら
自分の責任だと思ってしまう。

傷つけた相手が悪いという思考になりにくい。
なるとしたらそれは
頭が冷えるくらい時間が経ったあと。

 

それはそれで辛いことだし、
自分を客観的に見れていないということ。

このスキルを手に入れるには
まだまだ修行が必要ですなぁ…

二面性に悩んだけど受け入れようとしている。

「どっちなんだよ」と

自分にツッコミを入れたくなる時がある。

 

たとえば、ブログ。

 

自分が楽しいからやっている。

それはまったくもって正直な事実。

 

けれど

読まれたい。読んでほしい。

そのために工夫する。

それもまた事実。

 

自分のためなのか、

人のためなのか、

どっちなんだよ。

 

 

それから、Twitterのフォロワー数。

 

増やしたいわけじゃない。

少人数でも、私の言葉を欲してくれて、

共感してくれて、

仲良くしてくれれば、それでいい。

 

と本気で思う一方で、

 

同じくらいのフォロワー数の仲間の

増え方が加速したり

突然バズって数が激伸びしているのを見ると

なんとなく置いて行かれたような

すこし悔しいような

そんな気になってしまうこともあったり。

 

数なんて気にしてないって思ってるのに

なんで周りを気にするんだよ。と。

本当の気持ちはどっちなんだよ。と。

自分でもわからなくなってしまう。

 

ただきれいごと言いたいだけなのかと。

いい人っぽい、無害っぽいこと言いたいだけで

実はブログのPVはめちゃくちゃ関心があって、

フォロワー数にもこだわってるんだったりして。

 

そう思って

やなやつだな私、と自己嫌悪に陥りそうになったのだけど。

 

「どっちもありでもいいんじゃない?」

と、最近思うようになった。

 

0か100か、白か黒かの

極端な思考をしがちだから

「どっちなんだよ」と思うわけで。

 

どっちも思うことに、矛盾はもしかしてないのかも。

 

どっちの欲求も、悪いことではなくて。

どっちも持ってても、別にいいのかもって。

 

そう思ったら楽になったなぁ。

 

だけど、

人と比べてしまうのは、やっぱり苦しいから

それだけは意識してやめておこ。

 

人と同じ土俵には上がらない訓練。

 

影響力を得るためにやってる、というTwitterアカウントもあるから、

そこと競っても仕方ないしね。

 

やっぱり楽しくやる。

けどそれで増えたら嬉しい。みたいな。

そのくらいの感じで。

いつも空席を探している

新月は昨日だった。

 

約1ヶ月のサイクルの中で、

「自分を出すこと」を意識して、できたことはあると思う。

意外と受け入れてくれる人が多くて、

ほっとしている、というのが本音。

 

やっぱり、人をまったく気にしない、というのは無理よ。

人に言葉を届けようとしてるんだから。

 

 

 

コミニュティの中で、

言葉を使って生きる。

 

たくさんの言葉を目にして、

それに反応して、

自分も意見を持つ。

 

その時に、私は天邪鬼になる。

 

 

周りに同調するのが単に好きじゃないのか、

自分は違う意見を持つことができると

多角的に見ることができると

アピールしたいのか。

 

それともただ反発することに

快感を覚えるのかもしれない。

 

理由はわからない。

だけど、

「本当にそうだろうか」とか

「こういう見方もあるんじゃないか」とか

そんな視点で考える癖があることを

自覚している。

 

私はずば抜けて何かがうまいわけではない。

文章は自己満足の域を出ないし、

知識もないし、

とりたてて特徴的なこともない。

 

だからこそ、

「自分オリジナル」が欲しいのかもしれない。

 

それは人に同調することでは

得られないと思っているのかも。

 

特技が何もないからこそ、

いつも唯一無二であることを模索していて、

人の気を引きたいと思っていて、

今時点でそこに近づける手段だと思っていることが

「他と違うことをする」と思ってるんだったりして。

 

なんだ、

こう文章にすると

なんて卑しいんだと思うね。。

 

でも自分で書いていながら

「痛いところをつくなあ」と

今書いたものを読み返しながら、思ってしまっている。

 

なんというか、周りを観察して、

あまり転がってない意見を無意識に探して、

自分の席だ、と思って座っているのかもしれない。

だったらそれは本当に自分の意見と言えるのか。

 

うーん、正直言ってわからないなぁ。

 

だけど自分では嘘を言ったり打算で動いてるつもりはなくて、

ただ人の意見に違和感を覚えてしまいがちだということは

たしかなこと。

 

その違和感を認識することも、

反論を反射的に考えてしまうことも、

わりとパワーをつかうことだから

なるべく「人の意見」に触れないようにしてはいるのだけど。

ぜんぶ避けて生きていく、というのは無理な話よね。

 

 

自分は何かで勝負できる武器を持っていないから

同じ土俵にあがらないように、というのも、

常に意識していること。

 

 

自分の評価は自分で下せばいいものを、

どうしても相対評価で見てしまうから。

 

相対評価は苦しい。

嫉妬やひがみも生む。

 

そうだ、最近読んだ本の中にも

同じようなことが書いてあった。

 

どれだけ高収入になっても、

どんなにいい暮らしをしても、

同じ層の人と永遠に比べ続けていってしまうのだそうだ。

 

それが人間だと。

 

それを避ける唯一の術が、

同じ土俵に上らないこと。

 

相対評価をしない、というのは

とても難しいから、

比べる環境にしない、というのが

現実的な目標になり得るのかもしれない。

 

人と比べそうになったら

その人と交わらない円の中で

楽しんでみる。

 

うん、それを今周期の目標にしてみよう。

次の満月まで。

満月には色んなことが間に合わず。

満月は、3月10日だった。

新月から満月まで、目標を立てて新しいことに取り組む、

と宣言したものの、

意識しながらも行動が伴わず、

しかも振り返ることすら満月に間に合わず。

 

「有言実行とは?」と疑問符が付く

周期になってしまったのだけど。

 

でも、できたことがひとつある。

ブログで「脱皮」を宣言できたこと。

 

内容を一言で言うと、

今まで傷つけられるのが怖くて言わなかったことも

言っていくよっていう話。

 

それは、ここで目標をたてたから、

宣言できたこと。

 

「自分を客観的に見る」

インフルエンサーでもない

いちツイッタラーの私が

「これから思ったこと何でも話すよ」って言ったところで、

炎上するわけでも、

批判が殺到するわけでもない。

 

そう思って楽に上げた。

 

私の、Twitterの目的は、楽しむこと。

フォロワーさんを増やすためでも、

情報収集のためでもない。

 

だから好きなことを好きに話して、

それで離れていくようなら、

合わなかったってことだもんね。

 

ただひとつ、問題が。

 

フォロワーさんが多ければ、

やはりブログは読んでもらえるんですよね。

 

Twitterをブログの宣伝ツールとして使っている以上、

どうもそこからくる、

「気に入られたい欲」みたいなのは切り離せないようで。

 

ファンがつけば、

その分読んでくれるわけでさ。

 

あと、単純に嬉しいし。

ファンだとか好きだとか言ってくれることって。

 

だからどうもね、

好きに振る舞うって言うのも、難しいよね。

 

それでも、ちょっとずつ、出していきたいとは思ってるんだ。

ブログに書いたみたいに。

 

なんかその方が楽しくなる予感がする。

 

だから、ブログとTwitterを切り離せるのが一番。

Twitterがなくても読んでもらえるようにするのがよさそう。

 

なので、これから色々と取り組んでみます。

 

あぁ、忘れてた。

満月からの、「何かを捨てる」目標。

 

「脱皮」と題したブログに書いた通り

かぶってた猫を脱ぐ。

 

です。

 

もうすぐ半月なんだけどね…

 

独り言の極みみたいな記事になりましたが、

今日はこのへんで。

2月24日、新月。

2月24日。

今日は新月らしい。

新月には新しいことを始めるのが良い、という迷信めいたものを、

私は少し信じている。

 

なので今日、眠っていたこのブログを再開することにした。

 

更新したとて、

読まれることのほぼ見込めないこのブログをなぜ再開するかといえば、

このブログのファンだと言ってくれた人がいたからだ。

 

たった一人だけれど、とても嬉しかった。

そのたった一人と、自分のために書くのも悪くない、

いやむしろそれは最高の時間になるかもしれない、と思い、

再開に至った。

 

そのタイミングとして、

新月はとても都合がよかったのだ。

 

さらに、閃いたことがある。

こうなりたい、という

いわば目標のようなものを宣言して、

新月から満月まで実行してみよう、というもの。

 

これまた迷信のようだが、

新月に新しいことを始めるのがいいように、

満月には何かを捨てるのがいいらしい。

 

つまり、新月から満月までは

新しいことを始めて続けてみる。

満月から次の新月までは

やめたいことや断ち切りたいことを努力してみる。

というのはどうだろうかと。

 

月の満ち欠け周期で目標を決めるというのが

なんとなく雅な気がする。

そしてほぼ誰も見ていないこの場でも

宣言することで意識が芽生え、

実行できるかもしれない。

 

実は前述のたった一人のほかに、

もう一人これを見てくれる(はずの)人がいる。

私が変わることを応援してくれる友人。

自信をもって、と後押ししてくれる人。

 

その人たちに見守ってもらいながら、

これから書いていこうと思う。

 

ここでは一切の嘘偽りなく、

誰の顔色を伺うことなく、

素直に綴っていくつもりだ。

 

ここでは、と書いたが、

表立って書いているブログだって、

別に嘘を書いている訳では無い。

 

ただ、気は使っている。とてつもなく。

書きたいことを書いているが、

表現はかなり考える。

 

こわいから。

意見を書く以上、

批判や反論は致し方ないにしても、

心無い言葉を浴びせられるのは嫌だ。

 

そう、たとえばこんな、

嫌だ、という表現さえ、

向こうのブログではまず使うことはない。

Twitterではもっと使わない。

 

マイナスな言葉は

マイナスな言葉を引き寄せるから。

 

だけどもちろん私にも、

嫌い、とか、嫌だ、という感情はある。

言ってこなかっただけ。

 

でもこの場では

ありのままの自分を見せると決めている。

それだけがこのブログの存在意義でもあるから。

 

さて、肝心の、新月に設定する目標だが、

「自分を客観的に見ること」にした。

 

今、私は自分を過大評価も過小評価もしていると思う。

 

ひとつのツイートや記事が

誰かに強く影響を及ぼすのではないかと思って

慎重になりすぎるのは過大評価。

 

一方で、矛盾するようではあるが、

影響力なんて全然ない、と思ったり

自分にかけられる、自分の認識とは離れた褒め言葉が

お世辞や嘘だと思ってしまうのは過小評価。

 

どちらもよくないことで、

自分が思うマイナスなことには自信を持つのに

自分にかけられるプラスの言葉は信じられない。 

そんな自分を変えたい。

どんな客観的評価も受け入れられるようになりたい。

 

他者の視点を信じて、学んで、

もっと自分を俯瞰して見たい。

これが次の満月までの、約15日間の目標。

 

やってみよう。

【ご挨拶】このTwitterアカウントを閉じることにしました。

 

f:id:heureux7:20190628104424p:plain

 

私をフォローしてくださっている方、

そして、一度でも絡んだことのある方へ

 

いつも私のツイートに

お付き合いくださり、ありがとうございます。

 

この度、諸々を考慮した結果、このアカウントは閉じることにしました。

理由はあとで述べさせてください。

 

こんな挨拶は本来いらないのかもしれません。

でも、Twitterという限られた世界の中でつながれたのも何かのご縁だと

私は思っているので、

最後にご挨拶をさせていただきたかったのです。

 

まず先に申し上げておきますが、

Twitterからは居なくなりません。

私はもうひとつ、真面目にお金や投資のことをつぶやくアカウント(以下本垢

を持っておりますが、

そちらに完全移行する、というだけの話です。

 

それに伴って、これを読んでくださった方でご希望される方がいらっしゃれば、

本垢へご案内したく存じます。

 

本垢は、もともとビジネスや投資の情報収集用に開設したアカウントです。

今もその色が強く出たツイートをしていますし、

フォローしているのもそちら方面が多いです。

 

今こちらでは思いつくままにツイートしていますが、

そういう類のものは圧倒的に少なくなると思います。

 

それでももしまだ私とつながりたいと思ってくださる方がいらっしゃれば、

大変お手数なのですがこちらのアカウントを再フォローしてくださるように

お願いいたします。

必ずフォローバックします。

 

ご縁が切れないよう、

すべてのフォロワー様をフォローさせてもらう、

という対応も考えました。

 

しかし、それがフォロワー様の、

「ツイート内容には興味がないけどフォローバックしなきゃ」

という義務感につながってしまうのではないかと考えまして

その対応は辞めることにしました。

 

これについてはかなり葛藤がありますが…

今、私には正直フォロワー様とのお付き合いの仕方、

こうした方が喜んでくださるのではないか、という自分の考えに

全く自信が持てずにいるのです。

(理由は後程述べるアカウントを閉じる理由②にあります)

ですので、みなさまの「フォロー待ち」のような形になってしまうことを

どうかお許しください。

 

 

一旦ここまでが、ご挨拶となります。

以下にアカウントを閉じる理由を記載しますので、

ご興味のある方だけご覧ください。

 

アカウントを閉じようと思った理由は二つあります。

 

本垢をしっかり運用したい

 

もともとTwitterは、

ビジネスや投資の情報収集とそのアウトプットなど

自己啓発的な意味で始めました。

 

しかし3000文字チャレンジに出会い、

みなさんともっと仲良くしたいという気持ちになり

別にこのアカウントを取得、運用。

始めてからというもの

みなさんとの交流が楽しすぎて

本垢を放置してしまうことに…

 

本垢は一日一度覗けばいいほう。

つぶやくのは週に一度か二度というペースになってしまって、

これではだめだな…と思いつつも

楽しい方を優先してしまっていました。

 

同時にインプット量も考える時間も少なくなり、

本来なりたかった自分の姿から遠くなっていっている気がしていたのです。

 

何とかしたい、と思っていたところ、

いいタイミングで、7月に「インデックス投資ナイト0次会」という

ネット上の投資家オフ会のようなイベントを見つけ、

すぐに参加表明をしました。

 

メンバーは猛者ぞろいで、私が参加するのが恐れ多くなるような人たちばかり…

彼らの投資マインドはものすごく高く、

事前に少し交流するだけでもかなり刺激になりました。

 

これはイン&アウトプットをもう少し高速で回す必要がある、

と思ったことから、本垢運用に力を入れようと思いました。

それが本垢に一本化する理由のひとつです。

 

 

②自分に自信がなくなった。

 

本垢の運用に力を入れたいのであれば、

こちらの垢に低浮上すればいいだけの話なのですが。

もうひとつ、この理由もあって閉鎖することにしました。

  

これは大変お恥ずかしい話でもありますが、

今まで仲良くさせてもらっていたフォロワー様とのご縁が

私の言動、行動のせいで切れてしまう状況が続きました。

 

どの方も、大事に思っていた方でした。

伝わっていない、信じられない、かもしれませんが、

私なりに精一杯、その方たちに喜んでもらおうと振る舞っていたのです。

それが全く望まない方向に進んでしまったことになったことで

自信をなくしてしまいました。

 

当たり前ですが、彼らが悪いところは一切なく、

責めるつもりは露ほどもありません。

これは間違いなく、私のコミニュケーション能力の問題です。

 

すべて自責として受け止め、

ここ最近はひたすらに己の愚かさと向き合ってきました。

意見を求め、回顧し、反省し、

何とかこのまま続けていけるように頑張ってみましたが、

私にそれだけの強さがありませんでした。

 

言ってみればこれは逃げです。

少し距離を置いて冷静になろうかとも思いましたが

これもまた私の弱いところで、つい戻ってきてしまう。

戻ってくれば、思い出してしまうのです。

私が傷つけた、もしくは、不快にさせた、人たちのことを。

それが辛くなりました。

 

とはいえ覆水盆に返らず。

いつまでも考えていても埒が明きませんし、

悲劇のヒロインにもなりたくありません。

(ていうか自分が蒔いた種だしっていう)

 

前を向くためには、このアカウントを閉じる、が

今の私に思いつく最適解でした。

 

じたばたともがいて、進もうとして、でも進めてなくて。

見苦しいですよね。

心の波が凪ぐまでじっと待って、それからにしてもいいのに。

何度もそう思いました。

 

でも何かせずにいられない。

普段慎重でなかなか行動に移せないのに、

こんな時ばかりは即行動になってしまうのが不思議です。

 

そもそも、交流目的でTwitterをやったことが

間違っていたのかもしれない。

 

本来はつぶやきであって、

リプが付いたりそのリプに誰かが入ってきたり、というほうが

特殊な状況なのかもしれない。

 

リアルの人間関係でも

多数と仲良くなるのは苦手なのに

Twitterならできると思い込んでしまったのかもしれない。

 

仮説ならいくらでも思いつきますが、すべて後の祭り。

 

とにかく、よかれと思ったことがことごとく全部裏目に出てしまったのもあって

これ以上誰も傷つけたり不快に思わせたくない、

そんな思いになったのが決め手になりました。

 

 

 

こんな時にもTwitterをやめない、という選択ができたのは

フォロワー様のおかげでした。

 

DMを何度もくれて励ましていただいたり

ツイートにコメントをいただいたり

LINEを知ってる人はそちらにメッセージくれたりも。

 

中には、初めて連絡をくださる方もいたりして

それにはほんとに驚きましたが、嬉しかったです。

 

みなさんに、救われました。

 

言葉に尽くせないほどありがたく思いました。

温かさに何度も泣きました。

 

積もり積もった自分へのツケ。

代償は大きかったですが、

それで気が付いたことも多かったのもまた事実。

 

それをひとつの勉強として、

私は残ったものを大事に抱えて進みたいと思います。

 

そして成長したい。

 

 

一瞬でもお付き合いのあったすべての方に感謝しています。

今までありがとうございました。

 

母からの電話が嫌い

f:id:heureux7:20190607164655p:plain


電話が嫌いです。

好きな人からかかってくる電話以外は。

 

仕事をしてた頃、電話はたいてい仕事を増やすものだったし、

最近携帯にかかってくる電話は営業か、あまりよくない知らせばかり。

 

そもそも人が何をやっているかわからない時に

突然割り込んできて相手の時間を奪う電話ってなんなの、と

ホリエモンみたいなことを私も考えたりしています。

 

だから電話は嫌いです。

 

そして一番嫌いなのは、

母からの電話です。

 

 

「3000文字私を熱くさせるもの」で

もたろうくんややーさんが家族の話を書いていました。

(リンクは終わりに貼りますので是非見てみてください)

 

それが私の記憶にとても残っていて、

いつか私も自分と親のことを書きたくなる日が来るかも、と少し思っていました。

なかなかに時間が経ち、そんなこともすっかり忘れていたのですが、

色々な条件がそろって、今、書きたいと思ったのです。

 

友人にも誰にも話せないこと。

ここでなら話せるかな。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  

 

私は父親の愛情を知らない。

 

 

 

父と母が離婚したのは、

私が小学生の頃だと思う。

 

思う、と書いたのは、実際の時期を知らないから。

幼稚園から小学校に入ってすぐくらいの間に、

父は家にいることが少なくなり、

週末しかいない人になり、

そして帰ってこなくなった。

 

別居していたんだと思う。

着々と離婚の準備をしていたのだろう。

 

帰ってこなくなった時、

私は母に毎週聞いていた。

「おとうはいつ帰ってくるの?」

母の返事はいつも決まって、

「この週末には帰ってくるよ」

だった。

 

でも、週末になっても父は帰って来ない。

いつしかその質問もしなくなり、

父の存在は家からなくなった。

 

母は、私に離婚することを言わなかった。

私には姉と兄がいるが、

彼らが知っていたのかはわからない。

ただ私が小学校に入った時、姉はもう中学生だったから

ある程度の事情は知っていたのでは、と思う。

 

何か考えがあって言わなかったのだと思うけれど、

父がなぜ帰ってこないのか、

その空気が当然になってからも私にはわからず、

父を求めてしまうことが度々あった。

 

小学校3年生か4年生の時。

父から手紙が届いていた。

学校から帰って、玄関に置いてある手紙を見つけた私は、

父の名前と連絡先が書いてあるその手紙を思わず自室に持ち帰った。

 

今ならわかるが、それは現金書留だった。

普通玄関に放置されるものではないが、

なぜかその時は玄関に。

家族が受け取っておいてあったのかもしれない。

 

当時の私はそんなこともわからず、

ただ父の筆跡で、名前と連絡先の電話番号が書いてあるものを

なぜだかとても大切なものに思え、手元に置いておきたくなったのだ。

そして、電話をかけてみよう、と思うに至る。

 

会わなくなってもう3年か4年が過ぎたころ。

電話をかける時はとても緊張した。

私のことを覚えているのだろうか、

嫌だなと思われないだろうか…

 

電話を取り、ボタンを押し、

最後のボタンが押せないまま電話を切り…

何度かそんな行動を繰り返した後、

意を決して最後の一桁を押した。

 

父は出なかった。

思えば、平日の午後。

仕事で不在なはず。

留守電につながる。

最初はすぐに受話器を置いた。

 

しばらくして、

留守電に吹き込もう、と。

もう一度ボタンを押し、電話をかけ、留守電にメッセージを残した。

今でも鮮明に覚えている。

「いつ帰ってくるの?どうして帰ってこないの?」

 

数日経っても

父からのリアクションはなかった。

私に電話がかかってくることも、手紙が来ることもない。

もう覚えてなかったのか、嫌いになったのか。

そんなことを思った記憶がある。

手元に置いておいた書留は、さりげなくテーブルの上に置き、

今日届いた風を装って母に渡した。

 

少し経って、

母と二人の時に、聞かれた。

「おとうに電話した?」

ドキッとした。

どうして気づかれたのだろう。

 

母は続ける。

「それを聞いて、悲しかった。」

そして泣いた。

 

父に電話をすることで

母は悲しむのか。

それは私にひどく衝撃を与えた。

申し訳ない気持ちでいっぱいになり、

もう連絡はしないと約束した。

 

最後に母は、

「もう一緒には暮らせないんだ」と一言だけ言った。

それは離婚報告のつもりだったのだろう。

以後、父の話をすることはなくなった。

私はその時を境に、父を求める感情に蓋をした。

 

 

 

 

私は母の愛がわからない。

 

 

父の一件で

母の涙を見た私は、

もう悲しませたくないと思うようになった。

 

このころ、姉は奔放すぎる高校生活を送り

兄は反抗期の入口。

彼らの世話に手を焼いていたことも知っていたので

せめて私だけはいい子にしたい、と。

そうすることで母の愛を得られると

思っていたのだと思う。

 

末っ子だった私は、

親戚に預けられることも多く、

また母子家庭となって母はいつも忙しくしていたので、

なんとなくいつも母の愛に飢えていた。

 

 

母が喜ぶ顔を見たい一心で、いろんなことを決めた時期もあった。

姉や兄のように、四六時中母を怒らせないようにすれば

私のことだけを見てくれる。

かわいがってくれる。

いい子でいればいい。

母が望むようないい子でいれば。

そう思ってがんばった。

 

 

しかし、母に褒められた記憶を私は持っていない。

 

母がずっとやっていたバレーボールを小学校から始めた。

母は試合や練習を見に来てくれたが、

されるのは注意ばかり。

「あの時あなたがこうしなければ負けなかった」

「あの時こうしてればよかったのに」

経験者だからこそ言いたくもなったのだろうが、

私はもうバレーを好きにはなれなかった。

試合に出れば注意されるから、

レギュラーになんてなりたくなかった。

 

成績はわりといいほうだったので

頑張って勉強して高校は地元で一番の進学校に入った。

 

田舎の小さなコミニュティで、

あの高校に入った子供がいる、ということは

親にとって少なからずステイタスになることを知っていた。

(もちろん私のステイタスになることも計算していたが。)

 

そのころ母は自分が所属するコミニュティで

自慢気に私がその高校に入学することになったことを話していた。

そんな母の顔を見て、私はすこしうれしかったが

おめでとうとは言ってもらった記憶はない。

 

 

 

褒めることはないが、

こうなってほしい、と思うことはいつも言ってきた。

 

受験する大学を選ぶときも

就職先を選ぶときも

ここにしようと思う、と言ったとき

母は「こちらの方がいいと思う」「こちらにしたらいいのに」

と口を出してきた。 

 

私はその言葉に動揺しながらも

最終的には自分で決めた。

 

結局、どちらも自分が志望したところに決まったが

この時にも母から「おめでとう」と言われた記憶はない。

応援すると言ってもらえた記憶もない。

銀行の就職内定をもらったときに言われたのは

「あなたに銀行の仕事なんてできるの?」だった。

 

 

大学の合格通知が郵便で来たときは、

私に渡すことなく勝手に開封していた。

 

乱暴に開けられた封筒を見て

とても悲しい気持ちになったことを母は知らない。

 

 

自分の意見を言うことも難しかった。

喧嘩するほど仲がいいということわざは、

あながち間違っていないのかもしれない。

 

私が母の勧める選択をしなかったからだ、と

自分を責めることしかできなかった。

 

 

就職して1年半ほど経ち、

転勤で地元を離れ、一人暮らしをするようになると、

母から自由になりたいと本気で思うようになった。

 

母は、地元企業だからずっと地元にいると思い込んでおり、

「なんであなたが?希望でもしたの?」

と不満を漏らした。

 

 

 

母の顔色を伺うことなく

好きな時に好きなことができる一人暮らしの解放感に

私は実家を居心地の悪いものとして認識するようになっていく。

 

それと反比例するように、

母はことあるごとに実家に帰るよう言ってきた。

赴任先から実家までは車で3時間の距離。

帰れないことはない。

 

しかしなるべく帰りたくない。

でも母は帰ってきてほしい。

なんとか親孝行と自分に言い聞かせ休みの日に帰ったが

次はどうやって断ろう、といつも言い訳を考えていたような気がする。

 

 

 

結婚が決まった時

「この子と結婚する時はもれなく私もついてくるよ」と

冗談ぽくながらも夫に言ったときは

正直ゾッとした。

 

経済的に独立しても、

自分の家庭を持っても、

私は母から逃れられないのかと。

 

 

母は自分の元に私がいれば

私は幸せだと、もしくは楽になれるのだと思い込んでいるようで

何かあるとすぐにこっちに帰って来いと言う。

だが私は逆だ。

何かあった時こそ母から離れたい。

 

それを直接伝えたことはない。

 

 

 

子供が生まれ、

孫の状況が知りたいという理由から頻繁に連絡を寄越すようになったのは

誤算だった。

 

ひどいときは毎日。

ただでさえ母から逃げたい私にとって

子育ての疲労も相まって

ディスプレイに母の名前が浮かんだスマホを見るのは苦痛以外の何物でもなかった。

 

「疲れていることもあるから電話はなるべくやめてほしい。」

そう伝えるのが精いっぱいだった。

用事があるときはLINEで、とお願いしつつもLINEは通知オフに。

それは今も続いている。

 

 

母がまだ健在であること、

それに感謝すべきなのだろう。

そして、今のうちにできることを探すべきなのだろう。

 

しかし母が私に自分の価値観を押し付けようとしたこと

気に入らなければ怒り、手を上げ、

自分の思うとおりにさせようとしたことは

なかなか私の中で消化が難しく

今でも母との関わりはかなり気が重い。

 

思い切って言えたらいいのにと思う。

だがそれもできない。

 

感謝はもちろんある。

申し訳ない気持ちもある。

もっと仲良くできたらいいのにと思う気持ちもある。

 

でも、できない。

どうしてもできない。

 

いつか後悔する日が来るかもしれなくても。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

あとがき

 

最近ずっと、自己分析のようなことをしています。

自分が大切にしていること、

苦手なこと、

なぜこういう思考になるのか。

 

その中で、自分の性格には親との関りが大きく影響しているかもしれない、

と思ったのがこれを書くきっかけです。

 

書いているうちに思考がまとまるかなと思いましたが叶わず

結論のようなものにも辿り着かず、

とりとめもない自分語りになってしまいました。

まとまりのない文章を披露してしまい恥ずかしい限りです。

でも、これが今の私に書ける精一杯でした。

 

友人にも話せないようなことをここで書けるのが不思議ですが、

ここでなら話せるような気がしてすべて書いてしまいました。

 

気づけば4000文字近く。

長文乱文最後までお読みいただきありがとうございました。

 

最後に、これを書くきっかけになったお二人の記事を。

 

もたろうくんの記事。

心をぐっとつかまれる文章です。

motalow.com

 

やーさんの記事。

今だから思うこと、胸が熱くなります。

ya-san.org

 

お二人には無断でリンクを貼らせてもらうことをお許しいただきたく思います。

 

※up後追記

 

書き上げた後は気づかなかったのですが

これをアップして、しばらく家事などをして。

 

ふと、

もしかしたら私の自己肯定感が低いのって

母との関係が影響しているのかも?と思いました。

 

頑張っても褒めてもらえなかった。

もっと頑張らないといけないんだ。

常にそう思っていた気がします。

 

すべてを母のせいにして被害妄想にひたるつもりは更々ありませんが

そうだとしたら合点がいくなぁ、とひとつ発見したのでした。