ねこまにあの素

ねこまにあのもと

3000文字チャレンジのルールはこんなに素晴らしい。

3000文字チャレンジは続くらしい。

 

しかし

こぼり氏が指揮する企画が終わることは変わらない。 

 

 

この企画が終わるということになってから 

色んな感情がぐるぐるしてそれを整理するために

色々なところに吐き出しまくった。

ブログ、Twitter、手帳。 

 

それでも吐き出すたびに異なる感情が溜まってゆき、

私は今止血しないまま輸血しているのだ、と悟った。

 

そこで止血するために、出血元を探した。

どうしたらこのモヤモヤを解消できるのか。

 

容易には見つからなかった。

いや、本当は見つかっていたのだけど、

表現できなかったのだ。

 

表現すれば、誰かを傷つけかねなかった。

私はそれを全く望んでいないし、

こぼり氏も間違いなく望んでいない。

 

もうこれ以上苦しめたくはなかった。

それが最上の命題になった。

 

としたときに。

私にできることは何なのだろうかと考えた。

 

手帳にぐだぐだと書いていると、

ひとつアイデアが浮かんだ。

 

それは、いかにこの企画が素晴らしいものだったかを知ってもらう発信の仕方。

 

誰も傷つけず、

そしてもしかしたら、彼を救えるかもしれない。

 

救える、か。

 

そう、おこがましくも私は

この企画についてどうこう、というよりも

彼を助けたい。救いたい。力になりたい。

そのモチベーションがどうやら最上位の欲求に上り詰めたようなのだった。

 

救う?私が?

人気者の彼を?

 

鼻で笑いたくなるような話だ。

しかし、どこかでその一助にはなるのではないかと

まだすこしだけ期待している。

 

思いついたその方法とは、

企画のルールを全力で賞賛することだ。

 

私はこのルールがあったから参加したといっても過言ではない。

こぼり氏をTwitterでフォローして、

企画の存在は徐々に知ることができたのだが

ある時ルールを知り、これはいい企画だ参加したいと思った。

 

なぜ良いと思ったのか。

それは、ビジネスの世界で、「ブレスト」をするときにたびたび取り上げられるような

 ルールだったからだ。

 

「ブレスト」とは、ご存知かもしれないが、

ブレインストーミングの略で、

簡単に言うと会議などで参加者の発言を容易にするための仕組みだ。

 

複数人が集まると、どうしても

「こんなことを言っても仕方ないだろうな」

「もうすでにこんな意見は出されているだろうな」

「私なんかが発言したところで」

というような遠慮が出てしまう。

 

そこで、発言を促し自由な意見を言いやすい環境にするため

考えられた方法がブレストだ。

 

あるサイトによると、

原則は以下である。

 

1、発言の質ではなく、量を重視すること
2、批判せず、粗野な考えを歓迎し、自由奔放な発言をすること
3、いい発言があれば、そのアイデアを結合し発展させること
4、ブレスト中に判断・結論を出さないこと

 

こぼり氏が作り上げた企画に最も近いものは

この中で言うと2だが、

実は3以外すべて当てはまっている。

 

1.発言の質ではなく、量を重視すること

 

これはこのルールに通ずるものがある。

『画像、動画及び文字装飾禁止』

 

とかくブログは、読みやすさ、わかりやすさといった質を求める風潮の中で

3000文字書く、という量にこだわる。

 

質を充実させるかどうかは、作者に委ねられており、運営側は望んでいない。

 

2.批判せず、粗野な考えを歓迎し、自由奔放な発言をすること 

 

これは説明するまでもなくこのルールそのままだ。
『否定&批判コメント禁止!』

 

これによって、先に述べたクオリティを二の次にした参加が可能となる。

初心者で自分が書く文章に自信のない者の参加ハードルを大きく下げることになる。

 

またこれにより、新参者の参加意欲をかきたて、

裾野を広げることにもつながっている。

 

3について。

これは、唯一ブレストと異なる点。

企画の趣旨が、何かを作り上げること、まとめあげることではないため、

致し方ないと思われる。

 

4、ブレスト中に判断・結論を出さないこと

 

広義だが、このルールに似ているのではないかと考える。

『順位付け無し!』

ブレストの目的の一つは、参加者が意見を出し切ること。

 

企画中に順位が決まってしまえば

それ以上他の参加者は書けなくなってしまう。

それでは不完全燃焼を招くことから、

順位を決めない。

お題に期限を設けない。

 

 

以上がこの企画がブレストに通じている、と私が思った根拠だ。

 

ただ、一つ問題がある。

ブレストをするためには、

会議の参加者が必要なのだ。

 

誰もいない場所に吐き出しても

意味はない。

文章も同じで読み手がいて初めて意味を持つ。

 

しかし意図的にか否かは知らないが、

自然と問題解決のためのルールがある。


ハッシュタグをつけよう!』

リツイート推奨!』

『誰でも大歓迎!』

 

ハッシュタグリツイート

SNSにおける拡散のための手段だ。

それに「誰でも歓迎」を加えることで、

偶然見つけた読者を参加者に転換させ、

輪を広げる効果をもたらしている。

 

さらに彼はこうも言っている。

「妙な仲間意識が芽生えるはずです。」

 

「仲間」。

この言葉で一気にあたたかみが増す。

ただの企画ではない。

参加者は仲間なのだ。

 

 

余談だが、企画がコミニュティ化したのは

この一連のルールが一翼を担っているだろう。

こぼり氏がそれを狙ってこのルールを策定したのかは知らないが、

ルールを見る限りコミニュティ化は必定。

 

 

話を戻し、さらにこのルールが秀逸な点を述べよう。

先ほど参加者のハードルを下げていると言ったが、

実はもう一つ、全く逆の意味合いを持っていると私は考えている。

 

"暖簾"をくぐるかどうかの判断材料だ。

 

この先にはこんな世界が待っている、ということを見せ、

行くも戻るもあなた次第、という状況を作っているのだ。

 

初めて入る店の暖簾をくぐるときは少なからず緊張するものだ。

それはどんなところか知らないから。

躊躇してくぐれないことだって往々にしてある。

 

何が待っているのかわからない世界に行こうとするのは勇気がいる。

しかし、ルールがあり、コミュニティがオープンでだれでも見ることができ、

自分が参加したらこうなるのでは、と容易に想像がつく世界であれば

行くか否かの判断はしやすい。

 

つまり賛同しなければ行かないこともできるということ。

 

来たい人、興味がある人に向けて、歓迎の意思を表しながらも

別に来たくないならいいからね、というメッセージも暗に含まれている。

それがルールを公開している素晴らしさだと思う。

 

 それはこのルールにも表れている。
『無理はしない!!』

 

一度参加したからと言って継続の義務はない。

そう。

飽くまでこの企画は、参加者の意思にすべてを委ねられているように思う。

 

参加する、しないを。

 

つまり出入り自由。

しかし、入った者、書いた者にだけもらえるご褒美もある。

 

それは、読んでもらえること。

反応をもらえること。

 

文章の書き手にとって、これ以上の褒美はない。

 

それが成り立っていたのは

すこし悔しいが、

こぼり氏の求心力あってのことと思う。

Twitterの隅っこでまったく同じ企画を立ち上げたところで

おそらくは誰も集まらないだろう。

 

求心力×秀逸なルール×ご褒美

この相乗効果が、小さいながらも読者を増やし、

参加者を増やしてきた所以ではないだろうか。

 

以前から言っているが、

私は企画をなくす結果になったことよりも、

作り出したことに拍手を送りたいと思っている。

 

0→1を作ることは大変だ。

1→2や3にすることよりもはるかに大変だ。

 

ルールについて考え始めた時に過去のツイートやブログ、動画に至るまで漁ったが

なぜこのルールになったのかについては一言も触れられていないため、

作成した意図については不明なのだが、

驚いたことは、第一回から今に至るまで同じルールであること。

 

いかに完成度の高い状態でリリースしたかがわかる。

それが、仮にこぼり氏の思い付きでできたものだったとしてもだ。

 

 

このルールを作り、貫いたこぼり氏を尊敬するし、

そのルールの中で存分に暴れた自分のことも褒めてあげたい。

読んで書いて楽しんだことを誇りに思いたい。