ねこまにあの素

ねこまにあのもと

あなたがわたしにくれたもの

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ーこの記事をこぼりたつや氏に捧ぐー

 

少し思うところあって、

自身が参加した3000文字チャレンジの企画を

振り返ってみることに。

 

私が初めて3000文字チャレンジという企画を知ったのは

3000文字月曜日の時。

 

そのころ、こぼりさんの代名詞ともいえるバズ記事

tatsuya-kobori.com

これを読んで感想をつぶやき

それに返信をいただく形で交流が始まるとともに

フォローもしました。

そしてそこから流れてくる謎の3000文字チャレンジという名の企画を知ることになるのです。

 

その時のお題が月曜日で。

いくつもリツイートされてくる“#3000文字月曜日”というタグに

つい興味を持って開いてみてしまうのでした。

 

最初に開いて読んで、

勇気を出してコメントを残させてもらったのがなつめさんです。

曜日を擬人化したアイデアを見て

「なんかこの企画すごいかも」と思ったのを覚えています。

natume22.com

 

ほかにも定休日が月曜な美容師さん目線の話や

やたら元気な目覚まし時計の話も印象に残ってます。

 

さらに印象深かったのが

Twitterのコメント欄。

たくさんのコメントがついて、

さらにそのどれもが好意的。

 

なんか優しくて自由な世界だな…と思ったのを覚えています。

 

その中に飛び込みたいと思うまでそんなに時間はかかりませんでした。

 

ちょうどブログを始めたいと思っていたころでもあったので渡りに船。

2月に出題された「橋」で初参加します。

 

橋と言えば私が真っ先に思い出すのは

応援するプロ野球チーム

楽天イーグルス」のホーム球場にあるアトラクション。

好きな野球のことを書けるとあって、

最初から最後まで楽しく一気に書き上げました。

necomania.com

 

でも、アップする前はとても緊張したんです。

きっと野球好きなんてそうそういない。

誰にも読んでもらえなかったらどうしよう。

何のコメントもつかなかったら悲しいな。

 

などと不安にも思っていたのですが、

自分の書いたものを出してみたい、

その気持ちが勝り、見事初日に提出。

 

すると、不安もなんのその、

予想以上にみなさんに読んでいただき、

コメントもつきました。

中にはこぼりさんからのコメントも。

 

それがとてもとてもうれしくって。

自由に好きなことを書けるのに

読んでもらえて

批判も指摘もされなくて

コメントももらえて最高だなって思いました(語彙力…)。

 

それが病みつきになって、

フレグランスではフランスに行った時の思い出を

勝負では高校野球の話を、

飽きもせず立て続けに書きました。

 

私はみなさんと違ってそこまで優秀ではないので

全てのお題に参加することはできませんでしたが

参加した時の作品は好きなことを書いたものばかりで

今読み返してみても熱量を感じることができる大切なものです。

 

きっと、いや確実に、

この企画がなければ生まれなかったものたちでしょう。

自分の好きなことを言語化できる

大変いい機会にもなりました。

 

そしてこの企画は思わぬ副産物をうむことに。

それは、企画参加者のみなさまとの交流です。

 

先日、こんなツイートをしてしまいました。

 

 

そのあとTwitterを封印して

ある記事を書くのに没頭しつつ、

家事やこどもの世話などして夜、

やっと落ち着いたころ

Twitterを開いてみると見たことがないような通知の数がついてました。

 

そして開くとこれ。

 

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(※一部抜粋)

 

 

まつりです。笑

 

とりあえずなんだか色々な言葉と顔文字の応酬が始まり、

アイコンもしくはハンドルネームはいつしか猫になってます。

そして不思議なことに、

猫になろうぜ、的なツイートが一つも見当たらないのです。

この連帯感、なんなんでしょうね。

もう、みんなめっちゃ好きって思いました。笑

 

終始心配してくださった方もいましたが

おそらくまつりが楽しくて入ってきた方もいたでしょう。笑

 

それはそれでいいんじゃないかと思ってます。

むしろ最高のノリ。

 

自分の気持ちを消化するためだけに書いた

身勝手なツイート。

そこからの低浮上で、

優しいみなさんにここまでしていただいたことにうれしさと申し訳なさがこみあげ、

最終的にはうれしさが勝ってきました。

 

私が今いる世界はほどよい規模感で

なんだかとても居心地がよく、ついついみなさんに甘えてしまいます。

気を許してあんなツイートもしてしまうほど。

 

オープンな場にもかかわらず、

ややクローズドさも感じるような心地よさが作れたのは

みなさんの温かさ、人柄の良さのおかげであるのはもちろんなんですが、

もともとはこぼりさんがつないでくれたからだな、と感謝の念を感じえないのです。

 

3000文字チャレンジでつながったみなさんも多いですし、

こぼりさんのツイキャスで絡んでから相互フォローが始まった方もいます。

だからたぶん、お付き合いしてまだ1ヶ月かそこらなんですよ。

なのに、ずいぶん濃い付き合いができている気もします。

落ち込んだときに、助けてくれたり…

落ち込んでるのを見た時は居ても立っても居られない気持ちになったり…

 

Twitterには疲れることもあるけれど

それ以上につながれたことがありがたくうれしく思う方々に出会えました。

 

間違いなくそれは

あなたがつないでくれたご縁です。

 

あなたがいなくなった穴は

やはり埋めるのは難しくて

ときどき埋まったか確認しに行くのですが

まだ時間がかかりそうです。

 

あなたとの関係はとても不思議なもので

なかなか言葉にはできません。

師匠と弟子というにはかしこまりすぎだし

友達というには近すぎる。

同志や戦友というにはおこがましい。

 

ただ確実に言えるのは、あなたをとても尊敬していました。

近づきたかったけど近づけなかった存在。

そしていなくなってしまった今、

もう近づこうとすることさえできなくなってしまいました。

 

今思うと…

私が3000文字チャレンジに参加したのも

あなたに褒めてもらいたかったからかもしれません。

不純な動機ということは承知で申し上げておりますが、

そんな動機でもいいじゃない、と思ってもいます。

 

もうアカウントが消えてしまったのでコメントは残っていませんが

たぶんすべての記事投稿ツイートにコメントくれたんじゃないかと思います。

引用リツイートも合わせたら2回。

なかなかできることじゃありません。

 

そんなところに企画を始めたことに対する

あなたの責任感の強さみたいなものを

感じてしまうのです。

 

「褒めすぎですよ!ただ面白くて読んでるだけですから。みなさんがすごいんです。」

こんな声が聞こえてきそうです。

 

本当はすごく戻ってきてほしいけれど

戻って来たくないなら仕方ありません。

 

ただこれだけは伝えたい。

 

ありがとうこぼりさん。

あなたがいなければ知り合えなかった人とたくさん知り合えました。

みんな大好きな人ばかりです。

 

そんな人たちに支えられて

あなたに教えてもらったブログを書く楽しさを忘れずに

私は前に進みます。

 

 

to the beat,not to the beat

今思うと、あれは一目惚れだったのだろう。

 

彼と最初に会ったのは、

会社の研修だった。

当時地方銀行の支店で投資商品を販売する仕事をしていた私は、

3ヶ月に一度は何らかの研修を受けることになっていた。

 

そのどれもが特段おもしろくもない、

ただ時計の針がはやく進むように祈るしかないような研修。

 

その日も同じだと思っていたが、

いつもと違う研修担当が来るという。

ふだん講師を務める本部の人間ではなく、

優秀な成績をキープしている現場の人だそうだ。

 

「今日来る人はイケメンだけどね、

エリートすぎてなんとなく私たちを下に見てるような感じがして嫌なのよね」

絵に描いたようなお局様ポジションのスタッフが言う。

 

ふうん。

興味のないフリをしながらも、

どこか浮足立つのを隠せずにいた。

 

業務は滞りなく終わり、

研修の時間が来た。

 

彼が会場に入ってくる。

会場と言っても、20人も入ればいっぱいになるような支店二階の小さな会議室だ。

 

入ってきた瞬間、

息が止まるかと思った。

正直に言おう、

顔がものすごく好みだった。

 

きちんと整えられた髪。

涼しげな目。

はにかむような口元。

 

センスのいいネクタイなのに

少しシワのついたシャツが

ほどよくバランスを崩し、なんとも不思議な魅力を纏っていた。

 

気持ちを切り替え、研修に集中しようと努力したが

それは徒労に終わった。

一切内容を覚えていない。

ただ一瞬目が合ったその瞬間だけは

鮮明に覚えている。

 

たしかに胸の高鳴りを感じたはずだった。

しかしその後彼とは会う機会もなく、

自然と私の心は日常を取り戻していった。

 

1年ほどたったころだろうか。

私に異動の辞令が出た。

銀行員にとってはなんの珍しさもない。

自分がいつ該当する時期になるかだけだ。

問題は行き先。

上司に告げられたのは、

なんと彼のいる支店だった。

 

あれからもう1年も経っている。

もう彼のことは忘れたはずだ。

というか始まってすらいない。

そう自分に言い聞かせながらも

いつもとは違うリズムの鼓動をかすかに感じていた。

 

異動は2週間後―

引き継ぎに忙殺されているうちにその日はやってきた。

 

配属初日。

無事に一日目を終えてほっとしていると、

年の近い女性行員に話しかけられた。

 

「ねえ、今日時間ある?急だけど行ける人だけで歓迎会開きたいなと思ってて」

もちろん快諾した。

 

彼も来るのだろうか。

淡い期待が一瞬頭をよぎった。

 

夜。

十数人いる支店メンバーの中から、

若い人を中心に数人が集まってくれた。

その中に、彼もいた。

 

お酒の付き合いは良くない方だと伝え聞いていたので

正直意外だった。

うれしさを感じずにいられない自分がいた。

 

飲み会は楽しかった。

テーブルが分かれてしまい、

彼とは挨拶程度しかできなかったが、

別に構わなかった。

支店の人たちはみんな良くしてくれたし、優しい人たちだった。

 

店を後にし、

皆それぞれの方角へ帰っていく。

挨拶とお礼をしつつお見送りをし、

私も帰路に就こうとしたとき、驚いた。

私の帰り道は彼と同じ方角だ。

しかも、二人きり。

自然と肩を並べて歩く格好になった。

 

「前に、勉強会で会ったよね?」

突然彼が言う。

「覚えてたんですか?」

驚いて彼を見る。

目が合った。

そう、この目だ。

軽いめまい。

ふらつきそうになるのを何とかこらえる。

それでも目が離せない。

一瞬のはずだが、とてつもなく長く感じた。

 

「もう一軒行こうよ」

微笑みながら彼が言う。

抗えない、と思った。

ゆっくりと何かに落ちていくのを感じた。

落胆に似た、かすかな快感だった。

 

その日から、

彼はよく飲みに誘ってくれるようになった。

彼はとても仕事ができる人で、頭もいい。

みんなに頼りにされていて、「先生」と呼ばれていた。

私も皆にならって先生と呼ぶ。

 

支店のすみっこで、

人目を盗みながら

今日は行ける?とコソコソ約束を取り付けるのが

たまらなくスリルで

たまらない優越感だった。

別に何かあったわけではないのだから

誰に見られてもいいのだけど。

 

もしかしたら本当に「何か」があるかもしれない。

そう思って誰にも話さずにいた。

 

そうしているうちに二人で毎日のように飲み歩くようになって

2週間ほど過ぎたころ。

アクシデントが起きた。

 

二人で飲んでいた店で、支店長と鉢合わせたのだ。

しかも他の行員も一緒だ。

 

何にもやましいことはないはずなのに、

なぜか二人してうろたえてしまった。

支店長は一瞬曇った顔をしたけれど

瞬時に計算して自分に無害であると答えを出したらしい。

冗談めいた口調で「セクハラに気をつけろよ!」と豪快に笑って席に戻っていった。

 

その後だ。

先生は突然饒舌になり、

普段言わないようなことを言ってきた。

「いつも思ってたけど、私服、かわいいね。センスがあるよ。」

洋服とはいえかわいいと言われたことに驚き、

そして鼓動が早くなった。

「ありがとうございます。うれしいなー。」

「うん、本当に、かわいい。」

目を細めて私を見る。

見ているのは洋服?それとも…私?

まさかね。

照れ隠しにあははと笑うと、

先生は「よし!あっちに合流しよう!」と支店長たちの席に向かい始めた。

突然二人の時間を奪われた私はがっかりしながらも先生に従った。

 

その夜は、1時間ほど飲んで、解散。

やけにあっさりしたお別れだった。

支店長には会うし、かわいいと言われるし、気持ちを整理する間もなく突然お別れだし。

自分の感情の浮き沈みについてゆけず、先生の意図もわからず、

悶々としながら夜が明けた。

 

その夜から、先生の態度が明らかに変わった。

相変わらず二人で飲みに行っていたが

今までしていたような他愛無い会話じゃない内容が増えたのだ。

「本当に、楽しいよ、この時間が。ずっと続けばいいのにと思ってる。」

「声、かわいいよね。職場で聞いてて、ドキドキすることがあるよ。」

「なんか口説いてるみたいだね?俺。」

言われる度に心臓を撃ち抜かれたかと思うくらいの鼓動を感じたが、

本気にしてはいけないと思っていた。

冗談だと受け流し、あははと笑うことしかできなかったが

ある時ついに言われた。

 

「好きかもしれない」

かも?かもってなに?

「あははーまたそれー」

いつものように冗談めかして受け流す。

 

突然手を取られた。

「かも、じゃないね。好きだ。」

お酒が入って熱くなった彼の手の感触が

一瞬にして私の心臓を突き刺す。

「もーやめてくださいよーまた酔って口説いてるんでしょー?」

茶化すように手を離そうとする私。

それを制するように、先生は一層強く握ってくる。

視線が絡みついた。

「酔ってるけど、自分が何を言ってるかわからないほど酔ってはいないよ」

一呼吸おいて更に攻めてくる。

「好きだ」

 

全身の力が抜けるのを感じた。

抗えない。

この人には抵抗できない。

そのまま身を委ねるしかなかった。

先生が私の顎をくいっと持ち上げる。

本当にこんなことする人がいるんだ…

どこか冷静になりながら

私は目を閉じ、先生を受け入れた。

 

遠くで店員さんを呼ぶベルの音が聞こえる。

安くて無駄にきれいな全国チェーン居酒屋の一室。

 

ビール味なんてはじめてだな…

そんなことを思いながら先生の感触を確かめていると

ゆっくり顔が離れた。

 

「うちにおいで」

この提案はさすがに迷った。

ここでノコノコ付いて行ったら

軽い女に思われないだろうか。

「今日はやめておく」

逡巡ののち、かろうじてつぶやいた。

「かわいいな。」

なぜか私の顔を見て少しふっと吹き出したように笑いながら

頭をくしゃくしゃっとなでてきた。

頭を撫でられるのは弱い。

思わず下を向き、息をふーっと吐きながら気持ちを落ち着かせる。

こんな展開を望んでいたのに、

いざこうなるとどうしたらよいのかわからない。

「ねこみたいだ」

私の反応をからかうように頭を撫で続けて言う。

「やっぱりだめだ」

先生がふぅっと息を吐く。

「帰したくない」

やっぱり

この人には抗えない。

 

先生のアパートは、とても綺麗にしてあった。

家具は最低限でシンプルなもの。

統一感があり、センスを感じさせる。

「座ってて」

そう言われても、なかなか落ち着かない。

本棚には金融関係の本がずらり。

先生はCFPという、FP最難関の資格を持っている。

「見ていいですか?」と断り、

そのうちの一つをパラパラめくる。

小難しい文章が並ぶ中に、先生の綺麗に整った字でメモがしてある。

こんなすごい人がどうして私と?

容姿端麗で仕事も優秀、頭もいい。

女性に困ることはないはずだ。

遊びなのかな…やっぱり引き返すべき?

そんなことが頭をよぎり始めた瞬間、

気づいたら先生がすぐそばに立っていた。

ゆっくりと私の手から本を取り、机に置く。

さっきまで本を握っていた私の手を先生がぐいっと引っ張り抱き寄せる。

「何も考えないで」

私の考えを見透かしたように先生が言う。

いつも通り少しシワが残るワイシャツ越しに、先生の鼓動を感じる。

ー戻るなら今だー

どこかから声が聞こえた気がした。

先生はゆっくり胸を離す。

考える間も無く、唇に先生の感触が訪れる。

ビールの味…

ブラウスのボタンがはずされてゆくのを感じながら

もう戻れない、と心の中で聞こえてきた声に応えた。

 

ピーッという音とともに電気が消える。

先生がリモコンを操作したらしい。

 

「せんせ…」

かろうじて絞り出した言葉はこれが最後で

あとは吐息に変わる。

自分のものとは思えない、聞いたことのない声が聞こえた。

 

朝。

いつもより早く目が覚めた。

スマホを手探りで探して時間を確認する。午前5時。

隣には先生が寝ている。

ずっと寝顔を見ていたい衝動にかられたが、今日も仕事だ。

帰ってシャワーを浴びないと。

ここから私のアパートまでは歩いて10分もかからない。

今帰れば余裕で支度できる。

職場で先生に会う前に、気持ちを整理する時間も欲しい。

 

先生を起こさないようにベッドを抜け出そうとしたその時、

肩をぐっと抱き寄せられた。

「おはよう」

昨夜我を忘れて先生に没頭したことがちらつき、

イメージを必死で振り払いながら、おはよう、と努めて冷静に返す。

「帰るの?」

気だるそうに先生が言う。

「うん。シャワーも浴びたいし」

 

「まだ時間余裕でしょ?」

そう言うと先生は私を自分の腕の中にぎゅっと抱き寄せる。 

「朝の方が燃える」

反論の余地はないとばかりに唇を奪われた。

 

カーテンが閉まっているとはいえ夜とは全く違う光の中で

思わず体がこわばってしまう。

先生はそれを察するように私の手をぎゅっと握り

「きれいだよ」

とささやく。

この人は私が思っていることがわかるのだろうか?

そんなくだらないことを考えながら

体が溶けてゆくような快楽に身を投じた。

 

その日から私たちは特別な関係になった。

同じ支店内での恋愛はご法度だ。

絶対にばれないように、会う場所も気を付ける。

 

外で会うときは個室のお店。

主に会うのは一人暮らしのお互いの家だった。

人目を避けて会うのはまるでいけない恋愛をしているかのようで

少し罪悪感を誘った。

物足りなさもあったけれど、その分先生は積極的に遠出に連れて行ってくれた。

運転が好きだという先生は、

休みが合えば必ずと言っていいほど県外にドライブに行こうと誘った。

県外なら見られる心配はほとんどない。

手をつないで堂々と歩けるのがうれしかった。

 

職場が一緒だと、仕事も楽しい。

一度だけ、隣の窓口に座ったことがあった。

ふだん先生は窓口にいるような役職ではないけれど、

スタッフの昼休みなどで手薄な時には稀にそういうことがある。

仕事モードの中で隣になるのはなんともいえない照れくささを覚えた。

お客様が預け入れにくると、

紙幣を数える姿がなんだかおかしい。

 

器用にお札を数える、素早く動く指を見ていると

その指は私の体が知っている指だ…と昨夜のことを思い出し、

思わず体が熱くなってくる。

仕事中だ、だめだめ。

頭をふってイメージを消し、もう一度スイッチを入れなおす、なんていうこともあった。

 

毎日が楽しかった。

しかし半年ほど過ぎたある日、

終わりは突然やってきた。

 

先生の転勤。

東京の支店だった。

栄転だ。

 

いつかこんな日が来るのはわかっていた。

銀行員に異動はつきものだ。

だから二人とも日が過ぎるのを惜しむように

毎日できるだけ一緒に時を過ごし、

貪るようにお互いを欲した。

 

それにしてもまさか東京とは思っていなかった。

面食らい、泣きじゃくる私に先生はこう言った。

「東京なんて新幹線で1時間半だよ。すぐそこだ。」

だけどこの言葉を聞いた時、

もう会うことはないだろうと第六感が告げた。

先生と私の関係はどこか刹那的で、

ずっと続くものではないような気がしていた。

線香花火のように、いつか消えるものだからこそ

今火花を散らして咲いているのだと。

 

結局、

東京に行った先生とは、その後会うことはなかった。

何度もLINEをしたり、時には電話もしたりしたが、

いつ会おう、という話は互いに持ち出さなかったからだ。

そのうち連絡の頻度が下がり、いつの間にかそのままになってしまった。

今先生がどこにいて何をしているのかも知らない。

 

私とのことは本気だったのか、

それすらも今はもうわからない。

いつかこの記憶が本当の意味で思い出になった時、

先生に会って聞いてみたいと思っている。

またどこかの安い全国チェーンの居酒屋で…

 

 

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最後までお読みいただきありがとうございます。

 

これは実話と妄想を独自のブレンドで配合したフィクションです。

題と同じタイトルの曲から発想を得ています。

 

Twitterで仲良くさせてもらっているこずえさんという方のブログを読み、

私も妄想の中で男性に弄ばれたい衝動に駆られまして、

その勢いのまま書き上げたものです。

なにぶん自己満足要素が強い作品のため、

拙いところが多々あるかと存じますが

大目に見ていただければ幸いです。

 

 

こずえさんの記事はこちら。

この作品とまったくテイストが異なり、

甘いソーダにライムをしぼったようなさわやかな大人の作品となっております。

 

kozuechan.hatenadiary.jp

 

アンサーソングやーさんの作品もあります。

二つ合わせてお読みいただくと大変な胸キュンとなること必至です。

 

ya-san.org

 

 

 

猫に趣味なんてない

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はじめまして、みなさん。

僕は普段みなさんが見ているアイコンで、

ご主人にだっこされてる猫だよ。

あれは僕がモデルになってるんだ。

 

今日は僕の6歳の誕生日。

 

といっても、

野良猫だった僕は生まれてすぐに保護されたから

正確な誕生日はわからないらしい。

そのあと連れていかれたお医者さんが

推定で決めたんだって。

 

まあそんなことはどうでもいい。

今ここにこうして生きてることが大事なわけで

いつ生まれたかは大した問題じゃないんだ。

 

だけど誕生日は好きだ。

誕生日と、クリスマスと、お正月、

僕にはよくわからないけど、そういう特別な日が人間にはあるらしく、

その時は僕もごちそうがもらえる。

だいたい、人間はお寿司、僕はささみや白身魚だ。

ご主人がゆでてくれる。

 

いつもカリカリしたごはんだから、

たまに食べるささみはたまらない。

 

こんな時、食べることが趣味、なんて言う人間の気持ちは

少しだけわかる気がするんだ。

だけどほんの少しだけ。

 

僕みたいな野良出身の猫にとっては

食べることは生きるために必要なこと。

それを趣味って言っちゃうなんて、

人間は贅沢だな、というのが本音。

 

猫の世界に趣味っていう言葉はない。

僕たちがやることは、全部必要だからやっていることなんだ。

 

おもちゃを追いかけるのだって、

それが獲物だと思っているから本気でやっているし、

よく寝ると人間には言われるけど、それだって最低限の睡眠時間を取っているだけ。

 

遊びという気持ちは一切ないんだ。

いつも真剣なんだよ。

 

でもね。

このお家に来てから、テンションがあがってしまうことはたくさんできたんだ。

 

ごはんのまえ。

ビニール袋をぎゅっと結んだやつとか

ビニールひもを追いかける時。

ご主人が帰ってきた時のお迎え。

 

そうそう、最近ねこさまクエストってやつが始まって、

それは少し楽しいよ。 

 

普段は、僕のごはんを入れる器の中に

一斉に一食分のごはんを入れてもらえるんだ。

 

エストってやつは、

ごはんと別に、リビングに隠されたカリカリごはんの欠片を

僕の嗅覚を頼りに見つけていくっていう狩りみたいなゲーム。

ご主人が開発してくれた。

 

ソファの上だったり、

テレビ台の上だったり、

猫タワーのすみっこだったり、

色んな所にちょっとずつカリカリごはんを置いてくれて、

見つけたら食べられる。

 

見つけないと食べられないから僕も必死なんだけど

全部見つけると何とも言えない達成感があるんだよね。

程よく狩猟本能も満たされる。

 

もとはと言えば、僕が食いしん坊なのと早食いなのとで、

ごはんをあげても一気に食べてしまって、

もっとくれってご主人を噛んでしまうから

ご主人が噛まれないように僕の注意を他に散らそうと考えた作戦だったみたい。

 

でも僕は作戦だろうが何だろうが、

ごはんを見つけるのに必死だから関係ない。

フィールドの宝箱を探すみたいだから、

ねこさまクエストって名前にしたんだって。

僕には何のことだかさっぱりわからないけど

名前なんてどうでもいい。

ごはんが食べられるかどうかが大事なんだ。

僕にとってごはんはまさに死活問題だからね。

 

時々ご主人に言われる。

「うちに来たばっかりの時は、全然ごはんも食べなかったのにね」って。

そう言うときはなぜかいつもちょっとうれしそうだ。

文句を言われてるのか、嬉しがってるのかわからない。

 

 

たしかに僕がこのうちに来たときは、

怖くて何にも食べられなかった。

お水もおいしそうなごはんも用意してくれたけど、

そこまで行く勇気がなかったんだ。

 

だって突然連れてこられたんだから、

普通こわいと思うだろう?

 

 

ここに来る前、

僕は保護猫センターっていうところにいた。

僕のきょうだいもみんな。

 

定期的に譲渡会というのが開かれて、

猫を家族にむかえたい人間たちがやってくる。

そこにご主人がきたというわけだ。

 

僕は生まれてすぐにすこし体調を崩していて、

ほかのきょうだいたちよりも譲渡会に出るのが遅れてしまった。

その間にきょうだいたちはみんな人間のところに行って、

僕だけが残った。

 

人間は生まれて間もないちっちゃい猫のほうがかわいいと思うらしくて

出遅れた僕はなかなかもらってもらえなかった。

あと、しっぽの形もちょっと変わってる。

くにゃっと曲がっているんだ。

人間の言葉で鍵しっぽっていうらしい。

僕は気に入っているけど、人間には魅力がわからないのかな。

 

残った僕を、

お世話してくれた人たちは心配していた。

 

だっこしてみませんか?と色んな人に話しかけていた。

僕はだっこは嫌いなのに。

 

ご主人はそれを聞いて足を止めた。

だっこされた僕は嫌がって抜け出した。

だけどご主人は、嫌がる僕をゆっくり撫でて離れようとしなかった。

なぜか僕を気に入ったらしい。

「この子にします」と言われた瞬間、僕はご主人の家族になった。

 

お世話してくれた人は、引き取り手が決まったことを泣いてよろこんでくれた。

僕は知らない人のお家に行くのが怖くて仕方なくて

泣き叫んでいたのに。

 

ご主人のお家についてからも、

僕は怖くて仕方なかった。

入れられていたカゴから出されて、

すぐソファの下に隠れた。

そしてずっとそこから出なかった。

 

ご主人は水もご飯も口にしない僕をとても心配していたけど

慣れてきたらちょっとずつ顔を出してみたんだ。

 

ちょっとずつちょっとずつ、お家の中も探検して、

びくびくしながらご主人にも慣れていって、

数日したらもうおなかを出して寝れるまでになった。

猫がおなかを出して寝るっていうのは

ここは危険じゃないってリラックスしてる証なんだよ。

 

このあたりから僕は食いしん坊になって

僕にくれるごはんの量では足りなくて

人間のご飯に手を出すようにもなった。

 

だって人間のご飯はおいしい味がついてるじゃないか。

匂いですぐわかる。

猫のものと違うって。

 

人間用のは、猫にとっては味が濃すぎるらしい。

内臓に負担がかかるからと、僕にはくれない。

味がついてるからおいしいのに。

人間だってそうだろう?

濃い味のものばかり食べている。

なのに僕は食べられないなんて、納得がいかないな。

 

ここまで聞いて分かったと思うけど、

僕はいつもごはんのことを考えている。

どうしたらごはんをたくさん食べられるか、とか

どうお願いしたらごはんをもらえるか、とかね。

そのためにいつも一生懸命だ。

食べないと生きていけないから、最優先事項だ。

 

でも人間は不思議だよね。

ごはんにありつく目的じゃないのに、

どこかに出かけたり

何かに夢中になったりする。

 

僕が思うに、それは出かけても敵がいないから襲われる心配がないし、

ごはんはいつでも食べられるからだよね。

それはとてもしあわせなことに見えるな。

 

ご主人なんて、最近は毎日テレビで

野球っていうやつを見てるよ。

よくもまあ飽きずに何時間も見ていられるよね。

僕はすぐ寝てしまうよ。

 

ここまでならまだ理解できるけど、

試合に負けるとひどく落ち込むんだ。

好きで見てるのに落ち込むなんて、意味がわからない。

 

そうなると決まって僕にちょっかいを出してくるんだよな。

だっこしたり

お腹に顔を埋めてみたり

肉球の匂いを嗅いだりしてくるんだ。

「ご主人を癒してよー」とか言いながらさ。

勝ったときは一人で盛り上がってるからいいんだけど、

負けた時は僕にもとばっちりが来るから、勘弁してほしいな。

人間が触ると汚くなるから

後で毛づくろいをしないといけなくなる。

 

ご主人は本当に肉球が好きで、

毎日5回は必ず嗅ぎにくるね。

何がいいのかさっぱりわからない。

 

とにかく人間の趣味というものは

意味がわからないものだらけ。

 

ご主人は僕と遊ぶことが趣味だってたまに言うけど、

実は僕が遊んであげてるんだ。

ご主人はそれに気づかずとても楽しそうにしているよ。 

 

僕と一緒にいる時のご主人は、いつもとても幸せそうだ。

 

でも僕知ってるんだ。

ご主人がたまに、とても淋しそうな顔をしてること。

そんなときは決まって僕に、

長生きしてねと言う。

少し泣いてるときだってある。

 

そう、僕はかなりの確率で、

ご主人より先に死んでしまう。

 

僕はもう6才だ。

猫は7才からシニアになるんだそうだ。

少しずつ、体の不調も出てくるかもしれないし、

できることが少なくなるかもしれない。

もちろん、まだ老け込むつもりはないけどね。

 

僕だって死ぬことは少しこわい。

だけど、ご主人に知っておいて欲しい。

 

僕は毎日精一杯生きてる。

一生懸命ごはんを食べるし、

全力で遊ぶ。

人の目なんて気にせず、その時やりたいことを全力でやってる。

怒られたって気にしない。

 

だから僕は、1日たりとも後悔なんてしたことがない。

そんな毎日を生きてるんだから、

最後はきっとしあわせだったなと思えるよ。

死ぬことは避けられないんだから、

思い残すことがないってことが最高の最期だ。

だから悲しいときはこれを思い出して欲しいよ。

僕は一生懸命生きたってね。

 

もしご主人が僕を連れて帰ってくれなかったら

僕は今頃生きてなかったかもしれないんだし

そう考えれば今生きてることがすごくラッキーに思えるよね。

 

だからほんの少しだけ、ご主人には感謝しているんだ。

だから後悔しないように、

毎日一緒に遊んであげる。

今日からそれを僕の趣味ってことにしてあげてもいいよ。

 

おっと、そろそろごはんの時間だ。

台所に行ってご主人の邪魔をしてこよう。

それも趣味のひとつだからね。

3000文字チャレンジのルールはこんなに素晴らしい。

3000文字チャレンジは続くらしい。

 

しかし

こぼり氏が指揮する企画が終わることは変わらない。 

 

 

この企画が終わるということになってから 

色んな感情がぐるぐるしてそれを整理するために

色々なところに吐き出しまくった。

ブログ、Twitter、手帳。 

 

それでも吐き出すたびに異なる感情が溜まってゆき、

私は今止血しないまま輸血しているのだ、と悟った。

 

そこで止血するために、出血元を探した。

どうしたらこのモヤモヤを解消できるのか。

 

容易には見つからなかった。

いや、本当は見つかっていたのだけど、

表現できなかったのだ。

 

表現すれば、誰かを傷つけかねなかった。

私はそれを全く望んでいないし、

こぼり氏も間違いなく望んでいない。

 

もうこれ以上苦しめたくはなかった。

それが最上の命題になった。

 

としたときに。

私にできることは何なのだろうかと考えた。

 

手帳にぐだぐだと書いていると、

ひとつアイデアが浮かんだ。

 

それは、いかにこの企画が素晴らしいものだったかを知ってもらう発信の仕方。

 

誰も傷つけず、

そしてもしかしたら、彼を救えるかもしれない。

 

救える、か。

 

そう、おこがましくも私は

この企画についてどうこう、というよりも

彼を助けたい。救いたい。力になりたい。

そのモチベーションがどうやら最上位の欲求に上り詰めたようなのだった。

 

救う?私が?

人気者の彼を?

 

鼻で笑いたくなるような話だ。

しかし、どこかでその一助にはなるのではないかと

まだすこしだけ期待している。

 

思いついたその方法とは、

企画のルールを全力で賞賛することだ。

 

私はこのルールがあったから参加したといっても過言ではない。

こぼり氏をTwitterでフォローして、

企画の存在は徐々に知ることができたのだが

ある時ルールを知り、これはいい企画だ参加したいと思った。

 

なぜ良いと思ったのか。

それは、ビジネスの世界で、「ブレスト」をするときにたびたび取り上げられるような

 ルールだったからだ。

 

「ブレスト」とは、ご存知かもしれないが、

ブレインストーミングの略で、

簡単に言うと会議などで参加者の発言を容易にするための仕組みだ。

 

複数人が集まると、どうしても

「こんなことを言っても仕方ないだろうな」

「もうすでにこんな意見は出されているだろうな」

「私なんかが発言したところで」

というような遠慮が出てしまう。

 

そこで、発言を促し自由な意見を言いやすい環境にするため

考えられた方法がブレストだ。

 

あるサイトによると、

原則は以下である。

 

1、発言の質ではなく、量を重視すること
2、批判せず、粗野な考えを歓迎し、自由奔放な発言をすること
3、いい発言があれば、そのアイデアを結合し発展させること
4、ブレスト中に判断・結論を出さないこと

 

こぼり氏が作り上げた企画に最も近いものは

この中で言うと2だが、

実は3以外すべて当てはまっている。

 

1.発言の質ではなく、量を重視すること

 

これはこのルールに通ずるものがある。

『画像、動画及び文字装飾禁止』

 

とかくブログは、読みやすさ、わかりやすさといった質を求める風潮の中で

3000文字書く、という量にこだわる。

 

質を充実させるかどうかは、作者に委ねられており、運営側は望んでいない。

 

2.批判せず、粗野な考えを歓迎し、自由奔放な発言をすること 

 

これは説明するまでもなくこのルールそのままだ。
『否定&批判コメント禁止!』

 

これによって、先に述べたクオリティを二の次にした参加が可能となる。

初心者で自分が書く文章に自信のない者の参加ハードルを大きく下げることになる。

 

またこれにより、新参者の参加意欲をかきたて、

裾野を広げることにもつながっている。

 

3について。

これは、唯一ブレストと異なる点。

企画の趣旨が、何かを作り上げること、まとめあげることではないため、

致し方ないと思われる。

 

4、ブレスト中に判断・結論を出さないこと

 

広義だが、このルールに似ているのではないかと考える。

『順位付け無し!』

ブレストの目的の一つは、参加者が意見を出し切ること。

 

企画中に順位が決まってしまえば

それ以上他の参加者は書けなくなってしまう。

それでは不完全燃焼を招くことから、

順位を決めない。

お題に期限を設けない。

 

 

以上がこの企画がブレストに通じている、と私が思った根拠だ。

 

ただ、一つ問題がある。

ブレストをするためには、

会議の参加者が必要なのだ。

 

誰もいない場所に吐き出しても

意味はない。

文章も同じで読み手がいて初めて意味を持つ。

 

しかし意図的にか否かは知らないが、

自然と問題解決のためのルールがある。


ハッシュタグをつけよう!』

リツイート推奨!』

『誰でも大歓迎!』

 

ハッシュタグリツイート

SNSにおける拡散のための手段だ。

それに「誰でも歓迎」を加えることで、

偶然見つけた読者を参加者に転換させ、

輪を広げる効果をもたらしている。

 

さらに彼はこうも言っている。

「妙な仲間意識が芽生えるはずです。」

 

「仲間」。

この言葉で一気にあたたかみが増す。

ただの企画ではない。

参加者は仲間なのだ。

 

 

余談だが、企画がコミニュティ化したのは

この一連のルールが一翼を担っているだろう。

こぼり氏がそれを狙ってこのルールを策定したのかは知らないが、

ルールを見る限りコミニュティ化は必定。

 

 

話を戻し、さらにこのルールが秀逸な点を述べよう。

先ほど参加者のハードルを下げていると言ったが、

実はもう一つ、全く逆の意味合いを持っていると私は考えている。

 

"暖簾"をくぐるかどうかの判断材料だ。

 

この先にはこんな世界が待っている、ということを見せ、

行くも戻るもあなた次第、という状況を作っているのだ。

 

初めて入る店の暖簾をくぐるときは少なからず緊張するものだ。

それはどんなところか知らないから。

躊躇してくぐれないことだって往々にしてある。

 

何が待っているのかわからない世界に行こうとするのは勇気がいる。

しかし、ルールがあり、コミュニティがオープンでだれでも見ることができ、

自分が参加したらこうなるのでは、と容易に想像がつく世界であれば

行くか否かの判断はしやすい。

 

つまり賛同しなければ行かないこともできるということ。

 

来たい人、興味がある人に向けて、歓迎の意思を表しながらも

別に来たくないならいいからね、というメッセージも暗に含まれている。

それがルールを公開している素晴らしさだと思う。

 

 それはこのルールにも表れている。
『無理はしない!!』

 

一度参加したからと言って継続の義務はない。

そう。

飽くまでこの企画は、参加者の意思にすべてを委ねられているように思う。

 

参加する、しないを。

 

つまり出入り自由。

しかし、入った者、書いた者にだけもらえるご褒美もある。

 

それは、読んでもらえること。

反応をもらえること。

 

文章の書き手にとって、これ以上の褒美はない。

 

それが成り立っていたのは

すこし悔しいが、

こぼり氏の求心力あってのことと思う。

Twitterの隅っこでまったく同じ企画を立ち上げたところで

おそらくは誰も集まらないだろう。

 

求心力×秀逸なルール×ご褒美

この相乗効果が、小さいながらも読者を増やし、

参加者を増やしてきた所以ではないだろうか。

 

以前から言っているが、

私は企画をなくす結果になったことよりも、

作り出したことに拍手を送りたいと思っている。

 

0→1を作ることは大変だ。

1→2や3にすることよりもはるかに大変だ。

 

ルールについて考え始めた時に過去のツイートやブログ、動画に至るまで漁ったが

なぜこのルールになったのかについては一言も触れられていないため、

作成した意図については不明なのだが、

驚いたことは、第一回から今に至るまで同じルールであること。

 

いかに完成度の高い状態でリリースしたかがわかる。

それが、仮にこぼり氏の思い付きでできたものだったとしてもだ。

 

 

このルールを作り、貫いたこぼり氏を尊敬するし、

そのルールの中で存分に暴れた自分のことも褒めてあげたい。

読んで書いて楽しんだことを誇りに思いたい。

3000文字チャレンジがこんなに大きな存在だったと気づいた。

先日の記事から何夜か明けまして。

 

私の感情は違う方に向いていることを告白します。

 

あの時書いたあれは、

その時の正直な気持ちで、嘘はありません。

誓います。

 

ただ、

時間が経つと気持ちも変わりますね。

 

今私の中にあるのは

淋しさとやるせなさと力不足。

 

こんなこと書いたら、

また主催者様を苦しめてしまうかもしれない…

と思い葛藤しながら

心が張り裂けそうな想いを言葉にせずにもいられなくて

またもや書き殴るように書いてます。

 

淋しさを感じたのは

あの日からTwitterのタイムラインが変わったように感じたから。

 

ごめんなさい、これは、私が変なフィルターを通して見てるからかもしれません。

余計な感情抜きに見たら、何も変わってないのかもしれない。

 

だけどなんだか、いつもと違う気がしたんです。

 

それで思い出したことがあって。

たとえば、高校でも大学でもいいんだけど、

卒業する前って、当たり前だけど同級生と毎日学校で顔合わせてるのに

毎日話すネタって尽きないですよね。

それって毎日共通の話題がアップデートされてたからだと思うんですよ。

 

卒業してもしばらくは、思い出話とかでも近況報告でも

メールとか(今はLINEだね。私の時代はメールだった。笑)で連絡取ることもある。

 

だけどだんだん、連絡取らなくなりますよね。ひどく自然に。

もちろん一部のごく親しい人は除きますよ。

 

それって、同じ学校に属しているという帰属意識や、

同じ経験を今まさにしているという共通点がなくなったときに

会話の優先順位が落ちるからなんじゃないかと。

 

今、所属してるところのほうが大事になるというか。

さっきの例で言えば、高校卒業したあとなら大学や専門学校や会社の人たち。

 

それぞれ別の時間、場所で生きるから

自然と会話しなくても差し支えなくなるというか。

 

それに、似てるなって。

 

3000文字チャレンジがあったときは

少なくとも週に一度は新しい話題(お題)が投入されて、

そこから枝葉がついてふくらんだり

共通点が見つかって盛り上がったり

時には書けたとか書けないとかで共感したり。

 

なんかまさに学校みたいだったんですよね。

私にとっては。

 

レポート書けた?

私まだー

私もまだ!

じゃあさ、今日ファミレスで一緒にやらない?

 

みたいな会話が普通にあって。

飽くまで例えですけど。

 

卒業を目前にして、

ブルーになってるみたいな心境です。

 

ていうか、卒業するつもりなくて、

新学期もよろしくねー!みたいに思ってたら突然廃校になる、ていうのが正しいのかな。

 

誤解してほしくないんですが、

主催者様の決定をどうこう言うつもりはなくて、

それはそれとして受け止めてるんですが

ただただ悲しくて淋しい。

 

こないだの記事、冒頭でこれと真逆のこと言ってるわ!

というツッコミは2000発くらい受ける覚悟で言ってます。

 

正確にいうと、

なくなること

よりも

なくなって変化すること

こわくて悲しい。

 

変化しないと思ってたけど

すでに変化の兆しが見え始めた気がして

それを目の当たりにして

すっごくこわくなりました。

 

でも冷静になると当たり前だよね。

今までつないでた糸が切れるみたいなもんだから。

そりゃ、そうなんだけど。

 

そうなんだけどさぁ…

淋しいって感情から抜け出せないの。

どうしよう。

 

ねぇ、きっとほかにも

言いたいけど言えないってこと

抱えてる人いるんじゃないかなぁ?

いないの?

私と違ってもいいからさ

こっそりでもいいから、

なにか言えなくているなら言ってしまわない?

 

終わったのが悪いとか

そういうことじゃないの。全然。

 

ただ淋しいって言って

肩抱き合って泣いたらダメですか?

 

私は思ってる。

どうしてこうなる前に気づかなかったんだろう。

運営を支えてあげられなかったんだろう。

 

自分でもたまに感じたほんの少しの物足りなさや

不自然さを

耳打ちでも伝えることができなかったんだろう。

 

どうして主催者様だけをこんなに苦しめないといけなかったんだろう。

 

謝ったらきっともっと苦しめてしまうから謝らないけど

 

後悔と淋しさの海に溺れそうです。

 

 

 

救いようのない話で申し訳ない。

終わりが始まりなんじゃない。もう、始まってる。

3000文字チャレンジが終わります。

 

私は主催者様のこの決断を支持します。

支持するしないではなく決定事項だということはわかってますが、言わせてください。

 

不思議なことに、悲しさや淋しさはそれほどありませんでした。

 

それは私自身、

密かに毎回、これを書いたら卒業しようかな、と思っていたからかもしれません。

卒業に踏み切れなかったのは、

自分が書きたいと思うお題がまた出るかもしれない、

その時きっと参加したくなる、と思ったからです。

 

好きなことを書けて、読んでもらえるって最高じゃないですか。

そういう意味では、私もきっと甘えていたのでしょう。

それは認めます。

 

だからそれがよくなかったかといえば、

私はそうは思いません。

このコミニュティの中で、読んで読まれる、というgive&takeが生まれていたのは事実だと思います。

でもそれって別に悪いことじゃない。

これが成立してるのは、コミニュティとして優秀だと私は思うのです。

現実で壊れてしまうコミニュティでは、これが成り立っていないのを、たくさん見てきましたから。

 

一方でそれが好ましくないと思う人もいるでしょう。

当然のことです。

特に、自分に厳しく人一倍書くことに真剣な人は、それを敬遠するのではないかと推測します。

 

色々な解釈があっていいのだと思います。

どんなことにも賛否両論あって然るべきです。

 

さてこの異なる価値観をどうまとめるのか。

そんな風に思っていた矢先

発表がありました。

『3000文字企画を終える。』

 

昨日の夜のことでした。

 

私はその時、おそらくですが、

コーエンさんの記事を引用したツイートを作っていて、

自分の考えを正確に言語化するべく

スマホに文字を打っては消し、という作業を繰り返していました。

 

たった3つのツイートを作るのに1時間程かかりました。

それくらい、難しかった。

 

私でさえこんなに悩んだのだから、

主催者様の苦悩はいかばかりかとお察しします。

 

しかしながら発表を聞いて、

とてもいいなと思ったのが、

我慢する人を一人も出したくないという想い。

 

浅はかながら私は聞く前、

主催者様がなされた決定に、

もし違和感を持ったら去る、という覚悟に似た思いを持って聞いておりました。

コミニュティにおいて、しかもオンラインでつながっている、テキストのみでコミニュケーションをとる、

そんな関係の中で、折り合いをつけるなど容易ではないと思ったからです。

主催者様は去る者追わずだと仰ってましたので、

それもまたよいのでは、と。

 

しかし主催者様は想像を超えてきました。

もうやめると。

 

これは余談ですが、発表をききながら、

さすが経営者だな、と関心しました。

言葉選びが上手。

反論の予知がない。

 

もちろん双方向ではない環境での発表ですので、

反論しようもないのですが、

それでもやはり反発したくなる話し方をする人はいるものです。

 

主催者様には有無を言わせない強さがありました。

 

だからこそすんなり受け入れられたのかもしれません。

 

そして、主催者様もおっしゃった通り、

ブログもツイッターもなくなりません。

企画がなくなっても、つながりたい者はつながればいい。

つながりたくない者はつながらなければいい。

 

価値観を押し付け合うことなく、

どちらの価値観を持つ者でも

交わる時は交わり、

そうでない時は離れる。

そんな関係になってもいい時期だったのかもしれません。

出会った事実は消えないのですから。

 

そしてきっとこれは、参加者全員にあてはまると思うのですが、

この企画があってよかった。

 

私に関していえば、

この企画がなければ生まれない記事ばかり書いたし、

この企画がなければ読まなかったブログを見つけられたし、

この企画がなければ出会えなかった人がいます。

 

参加してよかった理由はそれぞれ他にもあるでしょう。

 

とにかく、あってよかった。

楽しかった。

もしこれが誰かにとって違和感だったとしても、

私が思うんだから仕方がありません。

 

だからありがとうと言いたいです。

 

毎回見ているあのルールだって、

実はとても秀逸で、参加者に優しいことを知ってました。

 

オープンで優しいコミニュティは、

主催者様のお人柄からくるものに違いありません。

 

何より0→1を作り出したことに拍手を。

 

共通点がなく出会うはずのなかった人たちを、

ひとつのお題を介してつなげることができたって素晴らしいことじゃないですか?

 

運営に関しては、たしかに、

もしかしたら、パーフェクトではなかったかもしれない。

 

でも、

作り出したこと、

みんなを巻き込んで大きくしたこと、

生み出されたもの、に関しては

自負したいですね。

主催者様だけでなく、参加者様、読者様も同様に。もちろん私も。

 

最後に

声をあげられたコーエンさんにリスペクトを。

出会った皆様に心からの感謝を。